昔のDMV(デュアル・モード・ビークル)

阿佐海岸鉄道が導入を進めるDMV

以前ニュース記事で読んだのですが、阿佐海岸鉄道では、終点の甲浦駅から、室戸岬を結ぶ交通手段としてDMVを考えているとのことです。
これが実現すれば、DMVの活用は、初となります。
地方のローカル線問題の一つの切り札ともなるとなりそうです。
DMV
画像 wikipedia 
阿佐海岸鉄道のDMVのお話は、後日詳しくさせて頂きます。
今回は、今から50年ほど前(昭和37年)に試作された、鉄道・陸上両用バス、英語の両生類を表す、アンヒビアン・バスのお話をさせていただこうと思います。

バスそのものの車体

まずこの写真を見ていただきましょう、バスの両側に鉄道用の台車が乗った何とも不思議なスタイルをしています。

国鉄線 昭和37年8月号の記事から引用させていただいたものですが、これによると国鉄バスを改造したものだそうで、発想は上記のDMVと同じで、鉄道が通っていない場所まで乗換なしで直行しようという発想で設計されたと書かれています。

前輪が乗っかる台車の後部車輪が駆動軸となるように設計されていたと言われています。

アンヒビアン・バス


複雑な脱着装置


この記事によりますと、オートリフト又はオートジャッキを利用して5分以内で台車の着脱が可能と記録されていますが、本当に5分程度で着脱できたのか大変疑問です。

なお、台車を載せた後も写真を見る限りでは、エアーホースの接続なども行うこととされており、車の、前に見えるホースがブレーキホースになります。

当時の記録によりますと、候補線区として23線程あったと書かれています。

 台車

また、車の推進は丸で囲んだ推進軸にバスから延長した推進軸(ドライブシャフト)を延長して接続するとのことであり、何とも驚きを禁じ得ないような仕組みとなっていました。
現在導入が準備されているDMVと比較すると、なんとも厳めしいというか手間がかかるバスであったのですが、当時の技術では車に台車を載せると重くなりすぎて使い物にならなかったのでしょうね。
なお、バスは鉄道車両と比べると当然のことながら車体幅が小さいので、ステップが付けられていたそうです。
なお、ホームは必ずしも車内から見た場合、必ずしも左側にあるわけではないので、その場合は右側に設けた非常口が乗降口になったそうです。

キハ58と比べてみれば・・・

こうして比較してみると、バスがいかに小さいかよく判ります。

キハ58系気動車の車体幅が2.9mですからバスの車体幅の小ささがよく判りますね。

比較


なお、当時はホーム高さが760㎜(客車)と低かったのでバスの高さ程度でもホームとの段差はさほど問題にならなかったと思われます。


参照 国鉄線 1962(昭和37年)8月号 10ページから引用

http://transport.or.jp/



 

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交通公社の古い広告から

昭和二七年の国鉄線と言う時刻表の裏側の広告に、交通公社(現JTB)に案内係が登場したと大々的に広告が載っています。

ラナー・・・ランナーではなく、直訳すれば使い走り、伝令と言う意味だそうですが、現在の窓口に見られる案内係とは異なり、営業担当に相当するようで、当時の記事を見ますと、ラナーの仕事は「送迎、伝言、誘導案内、交渉、その他」ということで旅行の添乗員に営業担当の仕事が付加されたような内容だったのでしょうか。
昭和27年当時は国鉄自らが営業を行うと言ったことは考えにくく、交通公社によるこうした制度は国鉄と言う公共企業体(実質的には戦前の鉄道省と同じ感覚でしたが、収支のバランスを図り営業を行うことも多少は意識していましたので、こうした係員の存在は国鉄にとってもメリットがあったと言われています。
ラナー
昭和27年国鉄線 昭和27年1月号裏表紙から引用
出典 公益財団法人 交通協力会 電子図書館

今から考えるとなんとも時代錯誤的な制服なんですけど・・・。
まぁ、当時の感覚では最良だったのかもしれません。

グリーンシートのお話

皆様、こちらの投稿はほとんど放置状態になってしまいまして申し訳ありません。
ちょっと面白い記事を見つけたのでアップさせていただきます。

グリーン車ではなく、グリーンシートのお話

今回はグリーンシートのお話・・・グリーン車ではありませんので早合点しないでくださいね。
昭和33年12月号の国鉄線からのお話ですから。
昭和33年といえばまだ等級制を採用していた頃で、1等・2等・3等という表現がなされていました。
昭和33年当時1等車と呼ばれるものは展望車のみであり、着実に国鉄としてもサービス向上は進められていました。

特別2等車と普通の2等車が存在した

2等車にあっては進駐軍の命によりリクライニングシート付の2等車(特別2等車)があり、元々1等車としたかったのですが連合軍の許可が下りず、2等車扱いになったのですが従来の2等車との格差が有ったので、特別2等車という名称を使っていました。
なお、特別2等車は従来は、特急列車にのみ連結されていましたが、サービス向上の目的から昭和33年10月の改正からは、普通急行列車にもリクライニング装備の特別2等車が導入されることになりました。
車両編成

そこで、上記の急行瀬戸のように、2両ある場合は1両を自由席・1両を指定席に出来ますが、1両しか連結しない場合は一部の座席のみ指定席とすることとされ、特別2等車の座席の背摺りに、指定席であることを区分するために淡緑色に指定席と縫い付けたシートカバーを白カバーの上から被せてあったそうです。
その為にはこの方法が考案されたそうですが、大きなトラブルもなく推移しているとのことで幸いであると記事は締めくくっています。
余談ですが、従来の2等車(並ロ)と呼ばれる車両は準急列車や普通列車には引続き使われており、こうした車両が格下げ改造で消えたのは昭和42年頃でした。
準急用2等車として製造されたサロ153以外は全て普通車(旧3等車)扱いとなりました。


当時の記事を参考に乗せておきます。
国鉄線昭和33年12月号記事から
昭和33年12月号 国鉄線 17ページから引用
参考 公益財団法人 交通協力会HP

車掌長制度の新設について

久々に更新させていただきます。

本日は、車掌長のお話です。
昔の鉄道雑誌等を読んでいますと、車掌長以下専務車掌・何名と荷物専務車掌が乗り組み…と言った記述をよく見かけたので、車掌長と言う制度は昔からあったと思い込んでいましたが、実は昭和48年の6月1日からこの制度が始まったそうです。

これは正直意外だったのですが、国鉄線の昭和48年9月号の記事を参照しますと。

車掌長の新設の理由について下記のように書かれています。

少し長いですが引用させていただきます。

目的

飛行機には機長がおり、船には船長があるように、列車には列車長をつくるべきであるとの主張がなされて、既に久しく、今回、全国の優等列車を対象に「車掌長」を新設することとした。
」れは近年、輸送需要の変化に伴い特急を主体とした優等列車の増発が著しく、これには通常二~三名の専務車掌が乗務しているが、これら複数の列車乗務員はいずれも同じ専務車掌であり、特に異常時等における責任体制は必ずしも明確ではなかった。
従って、今回この責任体制を確立すると同時に、対外的には、列車の最高責任者としての位置付けを明確にすることとした。

車掌長は急行以上の列車に原則的に乗務すると定められており。古参の専務車掌、専務車掌(A)と呼ばれていたグループは全員車掌長に移行し、専務車掌(B)の一部が車掌長に昇格したそうです。
また一般車掌のうち約1割がこの改正で専務車掌に変更されることとなり、優等列車の車掌は全員専務車掌以上になったそうです。
専務車掌変更

なお、車掌長の職務は従来どおり旅客の接客業務に従事しつつ、専務車掌間の業務調整や業務指導などを行うということで、プレイングマネージャー的な位置づけ出会ったと言えそうです。
専務車掌偽
専務車掌偽

国鉄の部内誌の記事から(新しいコンテナの話)

 今回は、国鉄部内誌の「国鉄線」の記事からピックアップして解説を加えさせていただきます。
今回は、新規に開発された冷蔵コンテナのお話です。

 R13-1
引用 
国鉄線1970年5月号 3報開き冷蔵コンテナR13形式から

国鉄コンテナ輸送が始まったのは、昭和35年に試作されたようで、R10形と称しており昭和47年まで製造されたようです。
当時の国鉄コンテナは、一部試作のコンテナではコンテナ自ら電源を持っている冷凍品タイプもありましたが、あくまで試作であり、主な方法はドライアイスによる保存方法が取られていました。
冷蔵コンテナ仕様
当時の冷蔵車は一般的には氷冷式となっていましたので、その点が異なっていると言えるかもしれません。

今回紹介するのは、3方開きの国鉄コンテナが開発されたという記事であり、利用者のニーズに沿ったものと言え、国鉄C11形コンテナに相当するタイプでした。
R13-3
このコンテナが誕生した昭和45年頃は、国鉄の赤字決算は続き、積立金も取り崩してしまい本格的に赤字対策を行う必要に迫られていました。
万博輸送は空前の旅客移動ブームを起こし、その後の定着のために考えられたのが、Disceover Japanキャンペーンであり、部内的にはマル生運動などが導入されたのもこの頃であり、国鉄としてもf合理化の推進と貨物輸送の改善などで赤字は改善できると思っていたと思われており、実際に貨物も車扱い輸送が大きく赤字を出しているのに対してコンテナ輸送はヤードパスの特性上到達時間も明確てことなどから輸送量も年々増えてきていたため貨物の優等生と呼ばれていました。
そんな中で、従来の冷蔵車による輸送をコンテナに置換えようということで計画されたと書かれています。
実際には、トラックで直接産地から産地に運ぶ方式の方が積替えの手間などを含めて考えたときに安かったのかもしれませんが、生鮮輸送の多くは現在もトラック便の方が強いようで、こうした分野での鉄道への復権(トラックとの差額運賃については、期間を定めて説いたことも今後考えていく必要もありそうですね。
なお、当時の図面がありますので併せて参照していただこうと思います。
興味のある方ぜひ3Dキャドで起こしてみてくださいね。
私も覚えたいのですが、なかなか時間が取れなくて・・・。(>_<)

R13-cad

写真はWikipediaから参照した、C11型コンテナ。
C11型コンテナ


テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

プロフィール

加藤好啓

Author:加藤好啓
元々、FPのサイトとして開設していましたが、保険代理店廃業に伴いblogを変更させていただきました。
鉄道ニュースに関する私なりに解釈などを食わせさせていただきますのでよろしくお願いします。

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