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陸送屋とキセル乗車

昭和30年代、自家用車はメーカーから販売店には運転手が一台ずつ運転して配送していました。
当然のことながら、帰りは車では無いので鉄道で帰ることになるのですが、このときにキセル乗車をしている輩が多発していたということで、問題になったという記事です。
この記事によりますと、乗車券の使い回し、改ざんなどが行われていたようで、急行券などの日付などを改ざんして使っていたようなことが書かれています。
陸送屋

なお、具体的にどのような手口があったのか、下記に関連する記事がありましたので引用させていただきます。
国鉄線 昭和40年8月号の記事から抜粋です。
陸送屋
乗車券の使い回し、定期券と入場券による典型的な詐欺行為、他には、乗車券の偽造などもあるようです。


今でもそうですが、キセル乗車は、通常運賃の三倍を請求されることになります。
その根拠は、鉄道営業法第十八条と、鉄道運輸規程第十九条であり、それぞれの条文は下記の通りであります。
参考までに掲載しておきますね。

鉄道営業法第十八条
  • 第十八条 旅客ハ鉄道係員ノ請求アリタルトキハ何時ニテモ乗車券ヲ呈示シ検査ヲ受クヘシ
  • 2 有効ノ乗車券ヲ所持セス又ハ乗車券ノ検査ヲ拒ミ又ハ取集ノ際之ヲ渡ササル者ハ鉄道運輸規程ノ定ムル所ニ依リ割増賃金ヲ支払フヘシ
  • 3 前項ノ場合ニ於テ乗車停車場不明ナルトキハ其ノ列車ノ出発停車場ヨリ運賃ヲ計算ス乗車等級不明ナルトキハ其ノ列車ノ最優等級ニ依リ運賃ヲ計算ス

鉄道運輸規程第十九条
  • 有効ノ乗車券ヲ所持セズシテ乗車シ又ハ乗車券ノ検査ヲ拒ミ若ハ取集ノ際之ヲ渡サザル者ニ対シ鉄道ハ其ノ旅客ガ乗車シタル区間ニ対スル相当運賃及其ノ二倍以内ノ増運賃ヲ請求スルコトヲ得

と言うことで、正規運賃+割増運賃として三倍【条文では、二倍以内と書かれていますが、実際にはJRでは割増運賃として二倍+通常運賃を収受しているようです。

余談ですが、こうした陸送が盛んであったときに、並行して国鉄が働きかけたのが、下記のような車運車であり、クレーンを使って自動車を積み込むようになっており、下に8台、上部に2台搭載する貨車が私有貨車として使われました。

画像は、トヨタ自動車向けの試作車として製造された、シム1000形になります。
20170911_1354057.jpg
詳細は、下記の記事をご覧ください。
なお、実際に車が積載された状態は下記のような写真になります。
20170911_1354061.jpg


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観光団体専用列車のお話、事始め

昭和36年から始まったオーダーメイドの団体輸送

観光団体輸送列車は、当時の資料を探してみますと、昭和36年2月号の記事に次のような記述を見ることが出来ます。
これは、36年3月のダイヤ改正で誕生したと書かれています。
少し、本文から引用してみようと思います
申し訳ありません、私の勘違いで、南紀観光団体専用列車には、ナハネ11が投入されたと書きましたが、これはその後の九州観光団体その他では確かに寝台車を使われているのですが、南紀観光団体列車は座席車による夜行列車でした。【昭和36年3月鉄道ピクトリアルで確認しました。】
ここにお詫びして訂正すると共に、更に資料の精査を行えるようにしたいと思います。
重ねてお詫び申し上げます。

******引用開始
団体旅客の輸送は、輸送力の不足している現在の国鉄にとって非常に難かしい問題である。今後観光旅客の輸送に力を注がねばならないことは前にも述ベたが、その具体的方策の一つは団体旅客輸送方法の改善である。現在の大口団体輸送は、要員、車両、線路等窮屈ずくめの影響もあるが、多数の団体毎にそれぞれ異ったコース・時間帯を希望する関係もあって、その輸送を行うために非常な苦労を重ねている。然も、折角の申込団体の一部をダイヤが入らず拒絶している場合もしばしばである。そこで今次改正から団体旅客輸送の定形化(モデルコース化)という方法をとることとし、団体旅客が多数ある地区については、それらの団体が希望するコース・時間帯の最大公約数を持った、団体専用モデルコース列車を不定期列車として運転し、『団体の引受けが即座に出来ると同時・に、輸送力を無駄なく活用することにした。まず、今次改正はその第一歩として、
以上引用終わり
・・・と書かれており、観光団体用途宗教関係団体用として運転するとされています。
宗教関係は、創価学会輸送であり、観光団体輸送は南紀観光団体専用列車となっています。

昭和36年は2回ダイヤ改正が行われた。

なお、昭和36年にはサンロクトウと呼ばれた、白紙ダイヤ改正がありますが、実はこの年は2回ダイヤ改正が行われたようで、昭和36年の3月にも小規模なダイヤ改正が行われており、その目玉となったのが団体臨時列車の設定であったと言うことになります。
手元に昭和36年3月の時刻表がありますので、参照してみますと19:33に10番線から白浜口行きという列車が目に入ってきます。
白浜口は、現在の白浜(和歌山県)であり、昭和34年に紀勢本線が全通してからは入り込みが増えていたのでした。

昭和30年代のクルージングトレイン?

この列車は、名古屋から関西線、紀勢本線を経由して直接白浜まで運転していたようです。白浜で車両も一泊した後、翌朝は紀勢本線・和歌山線経由で京都に、京都には19:09着、20:28には東京に向けて出発していますので、前日の宿泊客を受けて夜行列車で帰るスタイルになっていました。
その後は、こうした団体旅行列車は好評で、数年後には南紀団体旅行列車は、鳥羽(二見浦を経由)するように改められています。その後は同じルートで白浜・京都を巡っており、今で言うところのクルージングトレインのようになっていました。
ただ、現在のクルージングトレインと違うのは、本当に詰め込みの団体旅行であったと言うことでしょうか。

この列車は、特急つばめ・はとに使われたスハ44が投入された。

南紀観光列車には、特急つばめ・はとで使われた、スハ44・スハフ43が投入されたのですが、投入に際して固定座席から回転式クロスシートに改造されることとなり、スハ441~8とスハフ4311~24迄の22両が南紀観光団体専用列車に充当されることとなり、6両編成×3+4両予備となったそうです。
img2711.jpg


img271.jpg

2枚とも、鉄道ピクトリアル1961年3月号から引用しました。

この列車のために新たな寝台車も製造された(訂正)

このときに製造されたのが、ナハネ11と呼ばれるナハネ10の改良形で24両が昭和32年に製造されました。
主な特徴は下記の通り。
  • 寝台と寝台の間隔を広げて、定員を60人→54人に減らした。
  • 給仕室を拡大して、棚を設けてリネンを収納できるようにした。
  • 洗面台が拡張【2人→3人】となりました。
  • 出入り口の小窓が開閉できるようになり、走行中はドアを閉めても風を取り入れるように改良された。
と言った特徴がありました。
余談ですが、昭和35年からは旧型客車の台枠にナハネ11の車体を載せた、オハネ17が改造名義で製造されました。
なお、団体臨時列車に投入された寝台車は、裾部にクリーム色の細帯が入れられ、一般の恣意代列車と区別されていました。
これらの車両は、乗り心地改善のため、スハ43に使われていたTR47と台車を振り替えており、台車を供出したスハ43は振り替えられた台車TR23を履くこととなり、車両はオ級に収まることとなり、オハ47に改番されることになりました。
南紀観光団体線用列車の話から大きく脱線してしまったので、この話は又別の機会に致しましょう。
時刻表でしばしの時間旅行をお楽しみください。
最後に、昭和36年時刻表からしばし、時間旅行をお楽しみください。
まずは1枚目、東京を19:33 10番線から出発します。
このときは、晩年の団体列車のように、他の列車と併結することなく単独で運転されていました。
img265.jpg
東京19:33、横浜20:02と主要駅に停車しながら、名古屋に2:55到着します。
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その後、関西線・紀勢本線へと進みます。
img267.jpg

その後、白浜で停泊した後和歌山線経由で京都に向かいます。img270.jpg
国鉄千に掲載された、観光地団体臨時列車の記事

団体臨時列車

新形標準貨車の構想 昭和37年 交通技術の資料から

  国鉄が未だ貨物輸送にあっても、陸上輸送の主力であった頃、少しでも現行設備のままで輸送力を増やすため、新標準貨車の基準を策定することとなり、その検討が昭和37年に行われました。
当時の部内誌、交通技術を参照しますと、昭和37年6月号を参照しますと、本社で新標準形と言うべき貨車を製作することととなりました。
当時の経緯などを国鉄線 昭和37年6月号の記事を参照しながら綴ってみたいと思います。

新形貨車の構想を決めるまでに検討された事項

1)当初の構想では、貨車も新車両限界採用を目論んでいた。

当初の構想では、地方鉄道に乗り入れるため古い車両限界に拘ってきたが地方鉄道でも改修が進んでいるので、新車両限界を採用し車体幅を少し広げると共に、長さを切り詰めることで輸送力の増大を図れるのでは無いかと考えていたようです。

さらに、国鉄としては、貨物利用者の動向を知るため、実際に調査したそうです。

2)取引一件あたりの発送トン数を調査した結果

さて、こうした車両を製作する際に、利用者の意向を知る必要がありるとのことで、昭和36年10月には支社・管理局を通じて利用者に1回あたりの発送トン数を調査したそうです。
交通技術の資料から引用させていただきます。
111a.jpg
記事によりますと、従来からの商慣習で15t程度が非常に多いことから、良好な走行性能を考えればボギー車も捨てがたかったと記述されていますが、現状を考えれば貨車の軽量化を図った上で、軽量化分を積載量に増加すべきでは無いかという結論に達したようです。

3)貨車の容積と荷重の関係を調査した結果111b.jpg

有蓋車も無蓋車も重量品の積載が多く、この結果から、重量品を考えると、もう少し容積を狭めたいところであるが、軽量品の扱も無視できないのでトン当たりの容積は2.5㎡として従来通りとしたと記録されています。

なお、これらの検討を経て、冒頭に書いたように、無蓋車・有蓋車の新標準型を策定されることになりました。

新、標準貨車として計画されたものは下記の三種類

ワラ1

トラ55000

ワサ1

111d.jpg

交通技術 昭和37年6月号から引用

ワラ1は、ワム60000をベースに17tとしたもので、車両の軽量化で積載数を増やしただけとして走行試験を省略した結果、鶴見事故で脱線の起因を作ってしまう貨車となってしまいました。

JNR_FC_wara4364.jpg

画像 Wikipedia

無蓋車としては、トラ45000形をベースとして軽量化を図り、自重を8.2tに抑えた上で18t迄に受領物を積載できるトラ55000形を新標準型貨車でした。

JNR_TO_RA_57904.jpg

画像 Wikipedia


最後にパレット輸送用の有蓋車として、パレット積時18t、一般積23tを実現するための貨車としてワサ1を試作することとなりました。

ワサ1の場合、重量的に2軸車で13.2t以内にすることが難しいため、3軸車とすることになったのですが、戦時中にトキ900形と呼ばれる非常に走行性能の悪い貨車での失敗があるうえ、今回は二段リンク式であり、どのようは走行特性を示すか経験が無いため慎重に検討すると書かれています。

img196.jpg

交友社 100年の国鉄車両から引用


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遜色準急 第2摩周

古い資料を探していて、大変面白い記事を発見しましたので、ここで披露したいと思います。
鉄道ファン昭和36年12月号の記事で下記のような内容です。

05準急快走す・・・


キハ05という気動車は、キハ04と同じグループの車体であり、こうした気動車を準急列車に使ったと良いうのも・・・いやはやなんともという感じなのですが。
国鉄のぼったくり商法だと書いています。苦笑キハ04

幸い当時の時刻表などもありましたので、併せて確認してみますと。
ありました、「準急第2摩周」という列車。

途中で分割する普通列車だが・・・。

鉄道ファン昭和36年12月号から引用


この準急気動車の時刻表がありましたので、それを参照しますと、釧路16:00出発 終着 網走には、19:29となっていますが、途中の標茶駅で、キハ05を切り離します。

釧網線

切り離されたキハ05はそのまま、17:00 標茶発の普通列車として根室標津を目指すことになります。

当時も優等列車は運転されていないことからも閑散線であったことが窺えます、実際に赤字83線でも指定されていますので、その辺は間違いないかと思われます。

標茶線


なお、網走を目指す列車は、キハ22が使用されていました。

キハ22も普通列車用ですが、車内設備は、キハ55とほぼ同じであり、北海道では長らくキハ22が急行列車に使われていましたのでさほど問題にはならないとは思いますが、問題はやはりキハ05でしょう。

デッキもなくて狭いシートに二重窓もない車両では何を況んやと思います。

当時のレポートで見ますと、キハ05にも結構乗車していると書かれていますが、当時の移動手段が国鉄しかなかったことが窺えます。


遜色準急としては最低の列車?では


最後にこのレポートを書いた報告者は、釧路~標茶まで利用すると運賃が140円(48.1km)(現在の運賃で1070円)、それとは別に準急料金が100円(これも運賃との比率で考えると、約700円の準急料金、今の特急料金程度でしょうか。)がかかるため、余程の物好きでなければこの区間をわざわざ乗らないのではないかと書いています。


ただ、実際に、一部区間とはいえ準急列車として行き先表示板を掲出してまで走っていたという事実を知っていただきたいと思います。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

線区経営改善研究会と国鉄ローカル線 第三回

線区経営改善研究会が発足した背景

長々と書いてきましたが、やっと経営改善研究会のお話をさせていただけることになりました。
線区別改善研究会のお話をさせていただきます。
国鉄では昭和39(1964)年の赤字決算となるのですが、その背景には、自動車の保有台数の増加という側面がありました。
経済が発展し、可処分所得が増加することで、自家用車を保有する家庭も増えていきました。
自家用車などの普及と相まって、昭和30年代に普及した割賦販売【いわゆるクレジット】が普及したこともあって、自動車を購入しやすくなったのも、一つの要因でした。
また、高速道路の開通などで鉄道が陸上輸送における独占的輸送を占めることはなくなり、そのシェアも貨物を中心に少しずつ減らしていくこととなりました。
旅客数 貨物数
昭和41年監査報告書から引用、昭和40年からの旅客輸送は長期計画で考えられた実績を下まわり何らかの措置が必要と言うことを示しています。
これが上記の、自家用車等の普及と高速自動車道の開通などとも大きく関係しており、経済発展に伴う、一般家庭における可処分所得の増加が、その後押しをしました。


国鉄では、幹線系の黒字で赤字路線の穴埋めをする相互補助の形がとられており、昭和34年当時の資料を参照しますと、昭和33年度の線区別経営状況では、国鉄線全線で225線区のうち15線区が黒字で417億円の黒字を計上し、残り210線区が赤字であり、最終的に56億円の黒字をを計上したとされています。
それ以前も、特に赤字額の大きいローカル線には仙石線で試みられた、運輸所制度や貨物輸送の合理化、気動車投入による経営合理化などが進められました。
ただ、こうした一連の合理化も行った上で、なおかつ赤字決算となった以上、今まで以上にローカル線のあり方を検討していく必要が求められた訳です。
こうした背景を受けて、その取組として、設置されたのが「線区経営改善研究会」でした。
この取組を含めて、昭和41年の監査報告書では、下記の通りローカル線に関しては何らの措置が必要と報告しています。

監査報告書s41


線区別経営改善研究会の構成員

線区別経営改善研究会の構成員は、国鉄本社の若手職員【課長補佐クラス】15人で構成されていました。(こうしたプロジェクトの場合、30代後半の課長補佐クラスが当てられる場合が多かったようです。余談ですが、私も郵政局にいた頃はあらゆる施策などは次席【郵政局内では係長補佐のような位置づけで、実質的に業務を企画し実行する存在】がそうした対応に当たる場合が多く、私も事務方として裏方をさせていただいたことがありました。)
さて、そこで計画されたことは、「線区ごとにその性格を分類」していくことでした。
この手法は、後年特定地方交通線の選定にも使われた方法であり、その分類は下記のようになっていました。
  1. 基幹線と準基幹線
  2. 培養線
  3. 大都市近郊通勤線
  4. 地方交通線
  5. 地方通勤線
  6. 純ローカル線

と言う分類を作り、線区別に沿線住民の利用状況や農林産業の実態などを分析して、「廃止」や「存続」を線区ごとに決めていくものであり、廃止線については鉄道としての使命は終わったとして、バスによる振り替え輸送等を図るとしたものでした。

後年の輸送人員で縦割りにしてしまった方式では、本来は培養線や準基幹線として残すべきであった、岡多線(現在の愛知環状鉄道)や伊勢線(現在の伊勢鉄道)を廃止せざるを得ないという失策をしており、この当時の手法の方がより実態に合っていたと言えます。

そしてその成果として、下記のように83線区の廃止勧告【当初は82線区ですが、その後改定があって最終的に83線区が選定されています。

一覧表を下記にアップさせていただきました・


赤字83線の選定へ

赤字83線区として選定された線区は下記の通りですが、83線区として選定された後地域の開発などで廃止を免れた路線がある反面、83線区で選定されて、再び第一次選定で廃止になった路線もあります。

こうしてみると、鉄道の存続には沿線開発がセットで行う必要性があることを強く感じます。

赤字83線選定線区一覧

赤色・・・赤字83線で廃止された路線

緑色・・・現在も存続している路線・もしくはJR化後廃止になった路線

青色・・・国鉄改革時に廃止された路線【第一次から第三次の区別は省略】

  • 標津線     (標茶~根室標津、中標津~厚床 116.9km)   
  • 根北線     (斜里~越川 12.8km)
  • 白糠線     (白糠~上茶路 25.2km)
  • 札沼線     (桑園~石狩沼田 111.4km)(ただし、1972年6月19日     新十津川~石狩沼田間(34.9km) の末端区間のみ廃止、札幌側は、通勤通学路線となっているものの、北海道医療大学駅 - 新十津川駅間は「当社単独では維持することが困難な線区」としてその存続に関して問題提起されているのはご存じの通りです。)
  • 深名線     (深川~名寄 121.8km)     1995年9月4日 廃止  (ただし、代替道路未整備ということで、昭和55年の選定時は除外)
  • 美幸線     (美深~仁宇布 21.2km) 
  • 興浜北線     (浜頓別~北見枝幸 30.4km)
  • 興浜南線     (興部~雄武 19.9km) 
  • 渚滑線     (渚滑~北見滝ノ上 34.3km) 
  • 湧網線     (中湧別~網走 89.8km)
  • 相生線     (美幌~北見相生 36.8km)
  • 富内線     (鵡川~日高町 83.0km)
  • 岩内線     (小沢~岩内 14.9km)
  • 江差線     (木古内~江差 42.1km)
  • 瀬棚線     (国縫~瀬棚 48.4km)
  • 気仙沼線     (気仙沼~本吉、南気仙沼~気仙沼港(貨物支線) 22.9km)(ただし、貨物支線は、1979年11月1日廃止、前谷地駅~気仙沼駅間はBRT運行区間となっているのはご存じの通りです。)
  • 小本線     (茂市~浅内 31.2km) 1972年2月6日 浅内~岩泉間(7.4km)延長。岩泉線に改称 只見線・名松線・三江線とともに代替道路未整備で残るものの、2014年4月1日に廃止
  • 八戸線。     (鮫~久慈 12.8km)1975年7月20日 久慈~譜代間(26.0km)を久慈線として延長 三陸鉄道北リアス線に転換
  • 大湊線     (野辺地~大湊 58.4km)
  • 大畑線     (下北~大畑 18.0km) 1985年7月1日 下北交通に転換
  • 長井線     (赤湯~荒砥 30.5km) 1988年10月25日 山形鉄道に転換
  • 阿仁合線     (鷹ノ巣~比立内 46.1km)1986年11月1日秋田内陸縦貫鉄道に転換
  • 黒石線     (川部~黒石 6.6km) 1984年11月1日 弘南鉄道に転換。
  • 矢島線      (羽後本荘~羽後矢島 23.0km)
  • 川俣線     (松川~岩代川俣 12.2km)
  • 会津線      (西若松~会津滝ノ原、会津宮下~只見 100.4km)(ただし、1971年8月29日 只見~大白川間(20.8km)開業。只見線小出~大白川間を含め会津若松~小出間が只見線となる。
    西若松~会津滝ノ原間は、1987年7月16日 会津鉄道に転換)
  • 日中線      (喜多方~熱塩 11.6km) 
  • 只見線       (小出~大白川 26.0km)     
  • 赤谷線      (新発田~東赤谷 18.9km) 
  • 魚沼線     (来迎寺~西小千谷 12.6km)
  • 弥彦線   (東三条~越後長沢 7.9km) 1985年4月1日廃止 電化開業と引き換えに末端区間を廃止
  • 烏山線     (宝積寺~烏山 20.4km)
  • 真岡線     (下館~茂木 42.0km)  1988年4月11日 真岡鐵道に転換 
  • 木原線     (大原~上総中野 26.9km) 
  • 能登線       (穴水~蛸島 61.1km)  
  • 三国線     (金津~芦原 4.5km)
  • 越美北線     (南福井(貨)~勝原 43.1km)
  • 越美南線     (美濃太田~北濃 72.2km) 
  • 明知線     (恵那~明知 25.2km)  1985年11月16日明知鉄道に転換 
  • 名松線     (松阪~伊勢奥津 43.5km) 
  • 参宮線     (伊勢市~鳥羽 14.1km) 
  • 信楽線     (貴生川~信楽 14.8km)
  • 篠山線     (篠山口~福住 17.6km)
  • 三木線      (厄神~三木 6.8km) 1985年4月1日三木鉄道に転換
  • 北条線      (粟生~北条町 13.8km) 1985年4月1日北条鉄道に転換
  • 鍛冶屋線     (野村~鍛冶屋 13.2km) 1990年4月1日 廃止
  • 若桜線     (郡家~若桜 19.2km) 1987年10月14日 若桜鉄道に転換
  • 倉吉線     (倉吉~山守 20.0km)
  • 大社線     (出雲市~大社 7.5km)
  • 三江北線  (江津~浜原 50.1km)
  • 三江南線  (三次~口羽 28.4km)ただし、1975年8月31日 浜原~口羽間(26.9km)延長。三江南線と合わせて三江線と改称、2018年3月31日廃止予定)
  • 宇品線     (広島~上大河 2.4km) 
  • 可部線     (可部~加計 32.0km)(ただし、加計~三段峡間 2003年12月1日廃止 2017年3月9日 可部~あき亀山間(復活))
  • 岩日線     (川西~錦町 32.7km) 
  • 内子線       (五郎~内子 10.3km)(ただし、1986年3月3日予讃本線新線に接続、五郎~新谷間廃止 )
  • 宇和島線     (北宇和島~江川崎 33.6km)(ただし、1974年3月1日 江川崎~若井間(42.7km)延長。予土線と改称)
  • 鍛冶屋原線     (板野~鍛冶屋原 6.9km) 
  • 鳴門線     (池谷~鳴門 8.3km) 
  • 牟岐線   (阿南~牟岐 43.3km) (ただし、1973年10月1日 牟岐~海部間(11.6km)延長)
  • 小松島線     (中田~小松島 1.9km) 
  • 中村線     (窪川~土佐佐賀 20.7km)(ただし、1970年10月1日 土佐佐賀~中村間(22.7km)延長)1988年4月1日土佐くろしお鉄道に転換
  • 室木線     (遠賀川~室木 11.2km)     
  • 香椎線     (香椎~宇美 14.1km) 
  • 勝田線     (吉塚~筑前勝田 13.8km)
  • 佐賀線     (佐賀~瀬高 24.1km)
  • 唐津線     (山本~岸嶽 4.1km) 
  • 世知原線     (肥前吉井~世知原 6.7km)
  • 臼ノ浦線     (佐々~臼ノ浦 3.8km) 
  • 添田線     (香春~添田 12.1km)
  • 香月線     (中間~香月 3.5km)
  • 幸袋線     (小竹~二瀬、幸袋~伊岐須(貨) 10.1km) 
  • 宮原線     (恵良~肥後小国 26.6km)
  • 日ノ影線  (延岡~日ノ影 37.6km)(ただし、1972年7月22日 日ノ影~高千穂間(12.5km)延長。高千穂線と改称。 1989年4月28日 高千穂鉄道に転換2008年廃止)
  • 細島線     (日向市-細島 3.5km) 
  • 矢部線     (羽犬塚~黒木 19.7km) 
  • 湯前線   (人吉-湯前 24.9km) 1989年10月1日くま川鉄道に転換
  • 高森線   (立野-高森 17.7km) 1986年4月1日南阿蘇鉄道に転換
  • 山野線     (水俣~栗野 55.7km)
  • 宮之城線  (川内~薩摩大口 66.1km)
  • 指宿枕崎線  (山川~枕崎 37.9km)
  • 妻線     (佐土原~杉安 19.3km)
  • 日南線     (南宮崎-志布志 89.0km)     
  • 古江線     (志布志-海潟 64.8km)(ただし、1972年9月9日 海潟温泉(海潟)~国分間(33.5km)延長。大隅線と改称。     1987年3月14日 廃止)


なお、詳細は弊サイト「国鉄があった時代」をご覧ください。

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プロフィール

加藤好啓

Author:加藤好啓
みなさま、こんにちは。日本国有鉄道研究家、鉄道ジャーナリスト加藤好啓です。
地方鉄道を活性化することで、地方を再生できないかと言うことで研究とともに提言活動などもさせてもらっております。
将来は地方政治家としての転身を目指しています。

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