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新・寝台列車論 寝台車の始まり 第2話

戦前の寝台列車、名士列車

寝台列車のルーツは、山陽鉄道にあると前回お話をさせていただきましたが、今回は現在のクルージングトレインと言っても良いような列車のお話をさせていただこうと思います。
その列車は、東海道本線を走った、急行 17・18列車と呼ばれるもので、東京~神戸間を走っていました。
名士列車と呼ばれた列車に歴史を簡単に振り返る
名士列車と呼ばれた列車は、明治39年4月16日のダイヤ改正で誕生した、
最急行の1・2列車(後の特急富士)夜行急行列車(3・4列車)をそのルーツに辿ることができます。
同じダイヤ改正では、3等主体の5・6列車も設定されており、いずれも新橋~神戸の間に設定されています。(神戸以西は山陽鉄道)
弊サイト、国鉄があった時代から引用します。
日露戦争「凱旋」ダイヤより平時ダイヤへ 4/16
  1. 東海道線新橋~神戸間1・2等「最急行」1・2列車(食堂車付、13時間40分運転)、1・2等急行3・4列車(寝台車、食堂車付)、3等急行5・6列車(和食堂車付)を設定。
    急行列車券を発売(和食堂車、急行料金のはじまり)。
    新橋~下関間 直行11・12列車(寝台食堂車付、37時間5分運転)
    新橋~神戸間2往復、新橋~大垣、静岡~神戸、名古屋~神戸間各1往復
    の長距離列車運転。
  2. 北陸線 神戸~富山間1往復
    米原~富山間3往復運転
  3. 奥羽線 福島~青森間1・2列車(16時間58分運転)
    福島~秋田
    新庄~青森間各1往復運転
(東海道本線)【移転・駅名改称】清洲(初代)→枇杷島。【信号所開設】清洲信号所 4/16
山陽鉄道ダイヤ改正 4/16
大阪~下関間「最大急行」301・322列車(食堂車付、神戸以西13時間運転)
「急行」2往復(寝台食堂車付)
京都~広島、糸崎~下関間各1往復運転
引用終わり

何故、名士列車と呼ばれたのか

名士列車、読んで字のごとくですが。

「世間に名を知られている人。著名な人。」という意味ですが、当時は現在とは比べものにならないほど階層意識が強く、それでいて。移動手段は鉄道しかありませんでしたので、勢い、列車でも賓客と庶民を分ける必要がことがありました。

こうした流れは、東海道新幹線が開業する前の特別室付き展望車【パーラーカー】まで引き継がれましたが、山陽線転出後は、パーラーカーは連日空気輸送となり、やがて開放室は2等車に改造されて、形式もクロハ181となりました。

この辺は、寝台列車のお話とは関係ないので割愛させていただきます

img014.jpg

昭和3年、復刻版時刻表から

3列車が後の「櫻」、1列車が、「富士」で3列車は、和食堂、1列車は洋食堂となっているのがご覧いただけるでしょうか


その後も、順調に発展する名士列車


名士列車は、高級軍人や政治家、大企業の経営者なども多く利用しており、いわば列車がサロンの役目を果たしていました、そして、そのサロンの中心となったのが、食堂車でした。
当時は現在のように駅構内などで食料を調達することは容易ではなかったため、急行列車の多くには、食堂車が連結されていました。
一般の急行列車では、和食堂車と呼ばれる和食が中心のメニューの列車でしたが、名士列車と呼ばれた列車では洋食堂車が連結されていました。

名士列車の特徴として、3等級制時代に、1・2等のみで編成されていたわけで、その豪華さは容易に理解していただけるのではないでしょうか。
当時の編成を調べてみますと、荷物車1両、1等寝台車3両、2等座席車1両、食堂車1両、2等寝台車5両の11両編成で、1等寝台車緩急車は、(マイネフ37230形後の マイネフ38形)は、17・18列車専用の車両であり、個室寝台車でした、2等寝台はツーリスト形と呼ばれる、マロネ37350形(後のマロネ29)と呼ばれるもので、こちらは通勤電車タイプのロングシートを夜間は引き出して使うとともに、天井に収納した上段を下ろして使うようになっていました。
なお、この列車は神戸から外国航路への連絡列車の使命も持っていたようで、要人などの利用も多かったものと推測され、名士列車という名称がつけられました。
特急「櫻」や超特急「燕」でも3等車を連結していたのに対して3等車を連結していなかったわけで、この列車の伝統は戦後、急行銀河に引き継がれることになります。
その前に、少しだけ当時の国鉄の考え方を以下に示してみたいと思います。

戦前の国鉄では個室を1等・開放室は2等

当時の方針では、個室を1等、開放式は2等車として扱うこととされていました。
皇族専用車のマイロネフ37290後の、マイロネフ38のように、プルマン式寝台を2等車として扱っていたのがその証左といえます。
戦後はマイネ41も2等寝台車の扱いにしたかったようですが、GHQとしては個室を1等車とすることは認めず、結果的に戦後の開放式寝台車も1等寝台として扱うこととなり、1等寝台車で冷房装置が設けられたマイネ40(戦前の基準ならマイロネ40?)となっていたであろ車両がマイネ40として誕生し、マイネ41も、マロネ41で誕生するところだったのでしょうが、マイネ41で誕生しています。
さらに、スロ60も国鉄ではスイ60としたかったようですが、GHQの意向でスロ60ということで2等車の扱いとなったのもご存じの通りかと思います。

当時のGHQの見解では、冷房装置(当時の表現では空気調和装置)の設置が1等・2等を分ける基準にしていたのかもしれません。
なお、この辺は今後更に新しい資料等があれば追記させていただきたいと考えております。

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新・寝台列車論 寝台車の始まり 第1話

はじめに


寝台列車というのは、魅力的に聞こえる言葉です。
かっては、ブルートレインと呼ばれた青い客車・・・現在は、定期で走る列車としてはサンライズしか残っていません。
いまも、寝台列車復活の要望は、鉄道ファンを中心に多いのですが、現状で寝台列車は復活できるのでしょうか?
寝台列車を復活させるためにといって、一生懸命行動しても、それが社会的欲求に合致したものでなければ、それはあくまでも鉄道ファンの妄想でしかないと言えそうです。
ここでは、寝台列車論としていますが、寝台車の歴史などから書き起こして、今後寝台列車【寝台車だけで編成された列車以外も含めた列車】のあり方を個人的に絞殺していきたいと思います。

寝台車の歴史


日本で最初の寝台車は、山陽鉄道
山陽鉄道をご存じであろうか、現在のJR山陽本線を構成する路線で、神戸から下関までの区間となっています。
山陽本線のことを調べていきますと、現在の鉄道サービスの基本はほとんど山陽鉄道が発祥と言えそうです。
今回の寝台車然り、食堂車も、山陽電鉄が始めたものでした。
他に変わったところでは、車掌という名称、これも山陽鉄道が最初に使用したとされています。
さて、車掌の話まで始めると本題から外れてしまいますが、こうしたサービスを最初に取り入れたのは、一つは官営に対する対抗意識があったと言えそうです。
山陽鉄道に導入された寝台車は、食堂車との合造車で、明治33(1900)年4月8日であり、このときに導入された、食堂車付き一等寝台車でした。
なお、前年の明治32(1899)年8月には、夜行列車には蚊帳を貸与したとされています。
日本最初の寝台車は、定員16人のプルマン式寝台車
山陽線における初めて導入された寝台車は、プルマン式寝台と言われるものでした。
ただし、片方だけがプルマン式と言えるタイプの2段寝台で、反対側はロングシートのようなタイプでした。
sannyourailway_sleepingcar.png
昭和47年5月 国鉄線記事から引用

弊サイト 国鉄があった時代を参照しますと、官鉄が寝台車を連結するのはもう少し後で、明治35年7月10日に寝台車・食堂車に扇風機を取り付けとありますので、この頃にであったと思われます。
 東海道線寝台車および食堂車に電気扇を装置 7/10

又、翌年、明治36年には、山陽鉄道で二等寝台車の連結が開始されたと書かれています。
東海道線時刻改正 1/20
新橋~神戸間「急行」列車の運転時間を約1時間30分短縮し、1・2列車
(食堂車付)を15時間、3・4列車(寝台車、食堂車付)を1・2等編成の15時間20分運転
直行列車を3往復とする
新橋~大垣、新橋~名古屋、新橋~浜松、新橋~静岡、静岡~神戸、浜松~神戸、名古屋~神戸間各1往復の長距離列車を運転
山陽鉄道時刻改正 1/20
京都~下関間「最大急行」305・318列車(食堂車付、神戸以西下り11時間30分、上り11時間20分運転)
「急行」(寝台食堂車付)3往復、大阪~糸崎間下り2本上り1本
広島~大阪間上り1本、広島~下関間1往復の長距離列車を運転

ただし、寝台車はまだまだ高級な車両であり、一般庶民は堅い座席で夜を明かさなくてはなりませんでした。
ちなみに、現在のB寝台車と呼ばれる三等寝台が誕生するのは、昭和6(1931)年まで待たねばなりませんでした。
再び弊サイトから引用させていただこうと思います。
東海道線東京~神戸間急行13・14・19・20列車に3等寝台車を連結(3等寝台車のはじめ) 2/1
三等寝台が連結された背景には、経済不況で収入減少を来していた国鉄が収入増とサービス向上から導入されたものでした、特急つばめ(戦前は燕)の運転開始したのも同様な理由からでした。
ただし、庶民向けの三等寝台車は、俗に蚕棚と呼ばれた3段式で、かつ52cm幅の寝台は、当時の日本人でも窮屈という声がありました。

それでも、少しでも足を伸ばして横になれることはサービス向上であるとして喜ばれたそうです。
この車両は、スハネ30000【戦後は復元でスハネ30】と呼ばれたものでした。
戦前の寝台車は、通路側の一部にカーテンがあるだけですので、プライバシーは全くないと言っても過言ではありませんでした。
なお、優等車としては、皇族用のマイロネフ37290形【後の→ スイロネフ38形】や、特急富士用に製造された、マイネ37130形【後の マイネ38形】等優等車はありましたが、引き続き寝台車は戦前にあっては、庶民の乗り物とはほど遠いものでした。
なお、マイネ37130形は一両だけ、シャワー室が接地されましたが湯量が十分でなかったり、一両だけの改造であり使い勝手が悪かったこともあり、まもなく使用中止に追い込まれたようです。

このように、戦前にあっては寝台車というのは非常に限られた需要を満たすだけの存在であり、例外的に三等寝台として一部導入されたとはいえ、横になれるだけましと言った代物であり、現在のサンライズのように個室寝台などは一等寝台のみであったことを考えると隔世の感があります。

続く

次回は、戦前の優等列車、名士列車15・16列車を取り上げたいと思います。


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みなさま、こんにちは。日本国有鉄道研究家、鉄道ジャーナリスト加藤好啓です。
地方鉄道を活性化することで、地方を再生できないかと言うことで研究とともに提言活動などもさせてもらっております。
将来は地方政治家としての転身を目指しています。

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