なんとも珍妙な気動車貨車、キワ90

熱心な国鉄ファンの方なら、キワ90という貨車をご存じの方も多いかと思います。
気動車を貨車と合体させました・・・みたいな。
8mの車体床下にDMH17Cエンジンを積んだ2軸貨車でした。
国鉄線、昭和34年の記事が載っていましたので、ここに披露させていただきます。
この記事にも書かれていますが、妻線(現在は廃線)で試用されましたが、貨車としては中途半端な大きさであり、ワム車を2両けん引して20‰の勾配を20km/hで登れると計画されていますが。実際にはほとんど役に立たなかったようです。
その程度の荷物なら、積替えの手間をかんげえると、トラックで運んだ方が効率が良いわけで、最高速度65km/hという制限を含めても本当に製作する意味が有ったの?と思わせてしまいますね。

べっと、交通技術(s35年5月号)に、当時の落成時の写真がありましたので、けいさいさせていただきます。
キワ902
出場後、窓回りから上をクリーム色に塗りなおされているため、ブドウ色2号1色の写真は貴重かもです。

室内
室内の写真

公益財団法人 電子図書館を参照しています。
http://library.transport.or.jp/
 
キャプチャ

余談ですが、DMH17系エンジンを積んだ機関車が実はあるのです。
DD11と呼ばれる入換用機関車でエンジン自体はDMH17Bエンジンを搭載していました。
DD11
1両ではC12型蒸気機関車の半分程度の出力しかなく、元々は白棚線用に開発された機関車らしいのですが、白棚線自体が線路としては復活せず国鉄バスで復活したため、必要なくなったにも関わらず、既に落成していたこともあり、使い道を探さざるを得なかったと書かれています。

ただ、両端にエンジンを載せ、中央に運転台を持ってくる方式はその後のDD13・DD51 等の機関車に継承され、国鉄時代の機関車のスタイルの原型を作ったと言えましょう。

以上、DMH17型エンジンを使った変わり種2種類いかがでしたでしょうか。
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新生活運動と国鉄

新生活運動と言う啓発活動

若い人はご存じないかもしれないが、その昔新生活運動と言うものが積極的に行われている時代がありました。

歴史を紐解いてみますと、昭和30年(1955)鳩山一郎首相が提唱した、「みずからの創意と良識による日常生活向上運動。」がその根本であり、その趣旨は下記の通りでした。

戦争で荒廃した祖国や郷土再建のため、全国各地で、青年団体や婦人団体が活動の中心となって旧来の因習打破、環境衛生の改善、さらには生活や社会を合理化、民主化していくことで町や村を再建していこうとする「新生活運動」

この運動を基本に、昭和31年には「財団法人新生活運動協会」が設立(現在は「公益財団法人あしたの日本を創る協会」と言う名称)が設立され現在に至っています。

上記の新生活運動協会とを受けてであろうが、国鉄でも昭和31年12月13日から22日迄の10日間第2回
「旅の新生活運動旬間」が開催されたと書かれています。
第1回が何時頃行われたのかは不明
そして、当時の記録を国鉄線の昭和32年3月号で見てみますと、
国鉄線新生活運動引用 http://library.transport.or.jp/

旅の新生活運動旅の新生活運動が生まれた背景は?

学生サービス員と言うのがどんなものかよくわからないのですが、大学生などの協力者で有ったろうと思います。
さて、このような「旅の新生活運動」なるものが鉄道でも行われたのでしょうか。
それは、一つに戦争後のマナー低下が大きかったと言われています。
生きていくだけで精一杯であった当時、ごみを片付けるという概念はあまりなくて、そのまま通路のゴミを残して行く場合が圧倒的に多かったようです。
途中で清掃員が乗り込む場合もありましたが、あまり効果はなく。
以前に鉄道ジャーナル誌で、「汚い急行日本海の車内」と題して通路にゴミが溢れる状況の写真を掲載していましたが、これは急行日本海の乗客だけが特に悪いということではなく、あのような列車は多々見られたとのことです。
キャプチャ2

国鉄も手をこまねていたわけではなく

星晃氏の回想の旅客車などではスハ43を設計した際に収納式の屑箱を車両のいくつかに設けたという記述がありましたが、このゴミ箱を引き出して腰掛代わりに使用したりして変形して使い物にならなくなったり、きちんと清掃していなくて悪臭を発したりして結局止めてしまったとい言われています。

下図は、回想の旅客車から引用した、スハ43系客車のゴミ箱


img441.jpg また、当時も試行的にデッキにゴミ箱を置いたそうです。

今では一般的ですが、当時はそれでもそこまで足を運んでゴミ箱に入れていく人は少なかったそうです。

キャプチャ22

キャプチャ23


私の父親も弁当がらなどは椅子の下に入れており、子供ですからそれが正しい車内マナーだと長らく思い込んでいました。

また、デッキでのゴミ箱も今では当たり前になっていますが、当時はそれすらも珍しいと思われたようです。

実際にはキハ80などにはアルミ製の立派なゴミ箱がありましたが、いつ頃から付いていたのか調べてみたいと思います。


マナー向上は一人一人の意識から生まれたものだから。


昨今は外国人のマナーが悪いと言った記事などがネットを中心にみられますが、実は50年ほど前は、日本人の公衆道徳も大変お恥ずかしい次第であったということも知っていただければと思う次第です。

キャプチャ34

昭和34年10月号国鉄線の記事から引用

昭和36年並びに38年の時刻表に掲載されていた公衆マナー啓発の記事を最後に載せておきたいと思います。

昭和36年時刻表から

img443.jpg


昭和38年時刻表から

img442.jpg

当時の世相を十分に表している、そんな気がします。
いまでこそ、外国人から称賛されると言って喜んでいる記事をネットで見かけますが、更に一人一人が公徳心を持っていただきたいものです。

旅客車の座席番号の付け方改正・・・昭和34年の部内誌の記事から

本日は昭和34年の国鉄線の記事から、座席指定者の方式を変更したと言う記事がありましたのでそれをアップさせていただこうと思います。

鉄道が陸上の輸送機関を独占していた頃、特に長距離の移動は国鉄の独壇場と言っても過言ではなく、特急列車は全列車、急行列車の2等車(現在のグリーン車)及び一部の急行・準急列車には指定席が設けられていました。
ただ、昭和34年頃は、未だ指定券の発行は手作業で行われていました。
回転式のテーブルに載せられた台帳を引き出して、ここに消し込んでいく方式で、聞き間違いやダブル発券と言った事例は多々あったと言われています。
キャプチャ84
交通技術昭和55年4月号の記事から引用

また、それに輪をかけていたのは、座席番号の指定方法が下記のように4つに分かれていたことも問題でした。

1)4人ボックスを一つの升に見立てて、マス単位で指定していくわけで、4人セットで販売すればよいがそうでない場合はその4人の座席で進行方向窓際に座るのは早い者勝ちと言うことになります。(オハ46形式で施行されていたらしい)
 0.png

2)各座席に1番から通し番号を付けたもので、座席の個別指定が出来る方式であり、特ロ(現在のグリーン車)並びに、殆どの旅客車、)
1.png
3)各座席に1番から通し番号を付けているが、ボックス単位で割り振っており、座席の個別指定が出来る方式であり、現在でも使われている方式(準急加賀号の2等車(並ロと呼ばれた向い合せ式の客車)指定席で使われている方式)
昭和34年から運転を開始した週末準急で、大阪~金沢間で運転されていました。
  2.png
4)座席を建て縦(車長方向)にA・B・C・D列に分けて順番に1~番号を付けたもの。(ナハ11形式等で試行されていた)
3.png
というように、様々な方式がありました、将来的な電算機による座席指定方式の拡充を控え(マルスの使用開始は、昭和35年1月から、特急こだまの4列車のみで開始)のマル、その方式を統一することとなりました。

基本的には、特急客車や特ロなどの一方向向けの客車の場合は、4の方式を、普通客車など4人掛けボックスシートは3の方式に統一されることとなりました。
そして、この方式による座席指定の方式は現在まで変更されることなく続いています。
キャプチャ85
キャプチャ86
ちなみに12系客車などの座席配置は、下記のようになっています。
4.png
今度列車に乗るときには、ちょっとそんなところにも気を付けてみていただくと面白いのではないでしょうか?

グリーン車のお話

グリーン車と1等車

green_mark.png

現在はグリーン車という言い方をしていますが、今から50年近く前の1969年5月の運賃改定で従来の2等級制を廃止して、運賃を1本化するとともに旧の1等車は特別車両としての使用料金を徴収する方式に変更したのでした。

それ以前は、2等運賃の約2倍が1等料金と定められていました。

img399.jpg

計算上も面倒であったことや実質的な値下げ(長距離ではかなり安くなった)こともあり、昭和44年5月から昭和45年3月までのグリーン車乗車人員を前年同期の旧1等車乗車人員と比較すると1240万人に対して1600万人となり29%増加した。

と国鉄の監査報告書では書かれています。

img400.jpg

等級制が廃止されて。運賃のみのシンプルな構成になった運賃表示

これに、更に特別車両料金が付加される計算方式となり窓口事務の簡素化も図られることになりました。

img401.jpg


さて、当時のグリーン車と呼ばれた車両はどのような車両だったのでしょうか?


1等車と呼ばれた車両のシート,種類は?

まず、グリーン車料金が、普通列車用と特急・急行等の優等列車用に分けられていました。

準急行という種別は昭和43年には急行に統合されていましたので準急行のグリーン車料金は設定されていません。

普通列車用・・・・・・回転クロスシート(サロ110・サロ111)

特急・急行用・・・・・リクライニングシート

国鉄151系2等車車内

画像引用 Wikipedia(特急電車のリクライニングシートは、他の客車や気動車と異なっていました。また、シートラジオが試行されたのも151系でした。)


サロ110は、旧サロ153の113系併結改造されたもの

と分類されており、昭和30年代まではリクライニングシート車は特ロ(特別2等車、昭和35年7月以降は特別1等車)それ以外の車両は並ロ(2等車、昭和35年7月以降は1等車)と呼ばれていた車両であり、回転シート以外に、転換クロスシートも並ロとして扱われていました。

JR西日本の221系以降の転換クロス装備車は並ロ扱いですね。笑

所得水準の向上と連動して向上して変化したサービス

グリーン車が導入された背景には、国民全体の所得向上と富裕者層の鉄道離れがありました。

昭和30年代、鉄道が陸上輸送の主たる地位を占めていた国鉄も飛行機の出現で、航空機に一部の利用者が奪われ始めます。
すなわち、1等寝台車の利用が激減することとなったのです。
当時は政策的に飛行機の運賃は高く設定されていてある意味手厚い保護がなされていたのですが、それでも運賃値上げなどで、飛行機の運賃よりも1等寝台車を利用すると飛行機よりも高くなるという逆転現象が生じました。

そこで、昭和32年には1等寝台車が2等寝台車に格下げ(この時旧1等寝台車の個室をA室とし、開放室をB室。従来の冷房が無い2等寝台車をC室としました。古い時刻表などで1等寝台でA・B・Cという表現があるのはそのためです。)

今回の1等車を廃止して2等車にしたのもそうした意味で時代の要請であったと言えましょう。


国鉄形車両の座席の色は?

国鉄形車両の座席の色を覚えていますか?

国鉄が解体されて30年、JR西日本などでは未だ国鉄形車両が活躍していますが、JR東日本やJR東海では早々と新型車両に置換えた会社もあり、特にJR東海はその資金力もあってか国鉄形を完全に淘汰、さらにJR第1世代のキハ85も置換えの対象に入ってきたということで、そうなると383系の置換えの方がJR西の381系「やくも」より早くなるかもしれないですね。

まぁ、そんな余談はさておき。

客車の座席の色覚えていますか?

オハ35室内

青色でしたよね。

青色の座席が一般的でしたね。

思い出しましたか?

実はこの青色のモケットも変遷が有りまして、私の記憶が正しければ昔は純毛だったのですが、北陸トンネルの火災事故でモケット類の難燃化が指針としてだされて、化繊系のモケットになって手触りがあまりよくなかったように記憶しています。

どことなく、ビニール袋をさわっているようなイメージだったのですが、記憶違いで有ったらすみません。

国鉄形の車両は青色のモケットというイメージが強いのですが、実は青色のモケット以外もあったのです。

気動車はビニールシート

戦後製造されたキハ17系気動車は軽量化を最優先とした車両であり、初期の車両はシートの高さも低く、モケットではなくビニールシートの座席でした。
同じく、初代レールバスである、キハ01等もキハ17系と同様のシートでした。
特にこのシートはクーラーもない時代でしたから夏場は汗でべたべたとなりあまり座っていて気持ちの良いものではありませんでしたね。

キハ11室内

画像 Wikipedia 車内がモケット張りになっているが初期はビニールシートのタイプでした。

青色ではなかった時代も

実は、客車や電車のシートが青色になったのは、151系電車が登場して頃以降のようで、それ以前は実は、「緑色」が採用されていました。

昭和29年に落成したナハ10の試作車では、シートの色が緑色の車両の室内が回想の旅客車などで見ることが出来ます。

ナハ10

また、現在は京都の鉄道博物館に保存されている80系電車のシートも当時の姿に復元された緑色のシートを纏っています。

室内

特に、京都の鉄道博物館に保存されている80系は初期のタイプであり背摺りの上半分がモケットなしのタイプであり、デビュー当初はシートに工部省の「エ」マークを染め込んだシートになっていたそうです。


これは、客車などのモケットを切り取って持って帰る輩が後を絶たなかったからだと言われています。(客車のモケットは靴磨きに丁度よかったらしいです。)
そんな時代もあったということです。

エマークが入ったモケット

画像はイメージです。


余談ですが

現在の優先席の前身は、シルバーシートですが、このシートの語源は。
中央線の女性子供専用車を廃止した際にその代わりとして電車の車端部に高齢者優先席を設けることとしたのですが、目立たせるためにモケットを張り替えるに際し、当時使われていた新幹線0系の灰色のモケットを流用したそうです。
灰色を白髪の色に見立てて、シルバーシートと呼称したのが始まりであり。
老人に変わる言葉として、「シルバー」が定着してしまったのですが。
「シルバー」=「老人」の起源は国鉄のシルバーシートにあるのではないかと密かに思っております。

プロフィール

加藤好啓

Author:加藤好啓
みなさま、こんにちは。日本国有鉄道研究家、鉄道ジャーナリスト加藤好啓です。
地方鉄道を活性化することで、地方を再生できないかと言うことで研究とともにr提言活動などもさせてもらっております。
将来は地方政治家としての転身を目指しています。

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