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国鉄気動車の塗色、戦前に試験塗装が行われたという話

 戦前は、客車はもちろん、電車も褐色【ぶどう色1号】と呼ばれる、茶色の濃い色が採用されていました。
ぶどう色1号
戦前は、蒸気機関車の牽引による列車が殆どで、明るい塗装の車両などを導入することは考えられていませんでした。
気動車も、導入当初の車両はぶどう色1号だったのですが、試験的にキハ42000等に試験塗装を行ったと、国鉄の部内誌、交通技術という雑誌にでていましたので、ここでしょうかいさせていただこうとおもいます。

を参照していますと、面白い記事を、見つけたのでアップさせていただきます。
戦前の気動車に試験的に、特別な塗装を施したという記事です。
気動車の塗装
この記事によりますと、キハ42000が4両製造されて、西成線(現在の桜島線)と武豊線に配属され、試験的に特別の塗装が行われたと書かれています。
それによりますと、西成線配属のキハは、濃褐色と黄褐色の塗り分け、武豊線配属車は、濃コバルトと灰白色との塗り分け出会ったと書かれており、西成線の塗装は、その後モハ52の流電旧塗装に近いものであったと思われます。
また、武豊線配属車は横須賀線のスカ色の基本となったようです。

もっとも、戦前は同じ国鉄といえども関西と関東では電車の仕様自体が異なっていた時代で、戦後も同じ湘南電車でも、関東が湘南塗りということで、オレンジと緑を採用したのに対し、関西は、流電の2次形の塗り分けを逆にした、裾部がマルーン、窓回りをクリームにした、金太郎の腹掛け塗装が採用されていました。
この塗装が、湘南色に統一されるのは、昭和31年の東海道線全線電化まで待たねばなりませんでした。
なお。武豊線試験投入された、キハ43000もキハ42000に準じた内装でした。
参考になるblogが有りましたので、リンクを貼らせていただきます。


キハ四二〇〇〇
戦後の旧気動車標準塗装のキハ42000【正確には、42500ですのでデイゼル機関に換装したタイプですね。】

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EXPO70 よもやま話、国鉄で運転された臨時列車のお話を中心に

EXPO'70 昭和45年、大阪府吹田市千里山丘陵で開催された万国博覧会

2025年、大阪舞洲での万国博覧会開催が決定しましたが肝心のアクセスが、地下鉄一本だけで、かつ桜島からまだ先というのはかなり遠く、埋め立て地であることから、今年の台風で関空が被害に遭ったように名ことに成らないかという懸念も持たれています。
さて、今回は今から半世紀近く前に、吹田市の千里丘陵で行われた万国博覧会の旅客輸送について少しお話をさせていただこうと思います。
既に、ご存じの方も多いかと思いますが、1970年の万国博覧会では、道路からのアクセス以外に、中国自動車道の一部を占有して、複線の線路を延長して会場前のお祭り広場まで線路を延長しました。
万博閉幕後は、線路を撤収して現在の千里中央に行き先を変更しましたが。
当初心配された、万博輸送後の旅客数については、千里ニュータウンでの居住人口が増えたことも有り、現在では大阪メトロと一体で、一番の稼ぎ頭になっているのはご存じの通りです。
また、阪急も現在の山田駅より500m程北千里寄りに臨時駅が設けられて直接万博会場まで行けるようになっていました。
そして、国鉄では茨木駅がもう一つの最寄り駅として、駅からバスでアクセスする方式が取られました。

有名なところでは、エキスポこだまですが

そこで、万博輸送で活躍した臨時列車などを思いつくままに書いてみたいと思います。
万国博覧会輸送で、話題になるのが、「エキスポこだま」3月の改正では設定はありませんが、5月のゴールデンウィークで急遽仕立てられた列車のようで、三島駅の電留線を活用し、大阪~三島までは在来線で輸送し、三島から新幹線に乗車して、8:50に東京に到着すると言うダイヤでした。
夜行列車が、7:00~9:00過ぎまで到着できない事による苦肉の策と言えました。
エキスポこだま
他にも、新幹線は始発は6:00、終着は0:00迄に到着するのが基本でした。
ただ、万博開催中は早朝に出発し・深夜に到着する新幹線が存在しました。
こちらも、3月のダイヤでは設定されていませんので、ゴールデンウィークに設定されたものと思われます。
img483.jpg
ユニークな急行、「エキスポこだま」
片道だけ運転され、昼間に大阪まで回送させて、再びと言う非常に贅沢な使い方をしていましたが、ユニークな列車ではありました。

早朝、深夜に走った新幹線

さて、本題の早朝深夜に走った新幹線のお話を時刻表から見ていこうと思います。
昭和45年7月時刻表では、新大阪を5:40に出発する新幹線の他、0:20に東京駅に到着する新幹線が運転されています。
東海道新幹線に関しては、ワールドカップ開催時にも0:00を越えて運転される新幹線がありましたが、万国博覧会時にこのような列車が運転されていたことに驚きです。

0540shinkansen.jpg

0020shinkansen.jpg


大阪では、茨木駅が改名?

茨木駅では、万博開催を前に現在の高架駅に変更されており、昭和45年3月の万博開催前に落成となったそうです。
なお、万博開催期間中、茨木駅は、「万博東口駅」に変更されていました。もちろん正式に変更した訳では無く、愛称として、「万博東口駅」という名前を使ったそうです。
その辺は、国鉄部内誌、国鉄線に下記のような記事が出ています。
国鉄線197006号
国鉄線 昭和45年6月号から引用
また、この時から快速電車が茨木市に停車するようになりました。

関西圏を中心に臨時列車が運転される

万博輸送は12系客車の増備などで全国から、万博会場に輸送するための準備が図られたほか、新幹線もひかり号の16両編成化など強化工事が行われました。
再び、部内誌、国鉄線昭和45年1月号から引用したいと思います。

 一近郊輸送の概要一
 総入場者5000万人と想定した場合、会期中の休日平均入場人貝は約59万人となり、従来の想定による42万人と比較すると、約17万人増となる。
 五九万人のうち、鉄道輸送にかかる分は約39万人で、13万人の見込増となった。
 このため、次のような輸送対策を検討中である。
  1. 「万博号」の運転
      大阪鉄道管理局管内の小・中学校生徒を中心に計画輸送を行なうため、河瀬・姫路間に毎日三往復の臨時モデル電車(快速型)を運転する。
  2. 快速電車の茨木駅臨時停車
      快速電車は、現在。会場最寄り駅の茨木駅には停車していないが、万博中は、終日臨時停車させ  る。
  3. 京都終着の下り快速電車の茨木延長開場時のラッシュに備えて八時から九時の時間帯に、京都終着の快速電車のうち数本を茨木駅まで延長運転する。
  4. 編成増強
     基本編成で運転中の電車に附M編成四両を増結する。
  5. 休日に運転休止の電車復活運転
  6. 下り緩行電車の高槻始発を京都始発に変更
  7. 車両の新性能化
     103系車両を105両投入し、緩行電車の一部を103系に置き替えて、サービス向上

個々で注目されるのは、大鉄管内の小中学生を中心とした、快速電車が運転されたことが注目されそうです。
詳細は、現在調査中です。

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国鉄が行ったこんな割引、あんな割引

学割とは別に、勤労者割引なるものがあった。


国鉄時代から、学生割引というものがあるのは皆さんよくご存じだと思います。
ウィキペディアを参照しますと、下記のように概要が書かれています。
指定した学校の学生・生徒が、旅客鉄道株式会社各社(JRグループ)の鉄道と、JRバスグループ各社の一部の高速バス路線の乗車券購入時に窓口に学割証を提出し、かつ学生証を提示すると、片道の営業キロが101km以上の区間を乗車する際の片道乗車券・往復乗車券・該当する連続乗車券の券片が2割引となる。
私自身は、就職するまでは、父親が国鉄職員でしたので、もっぱら家族割引を利用しており、学割とは縁がなかったのですが、国鉄民営化を前にして、こうした割引制度も廃止になり、昭和61年、郵政省の中等部訓練で初めて学割なるものを使ったことがあります。
郵政省の中等部訓練は、学校教育法の学校に相当するらしくて、短大卒業程度の学力を付与することを目的として居たようです。
さて、本題に戻りますが、今回のお話は、学割に該当しない勤労青年向けに学割ならぬ勤労青年割引が導入されたという記事です。
詳細は、今後サイトにも書き加えていこうと思いますが、学生には割引があって、勤労青年には割引がないのは不公平ではないかと言うことで,昭和41年7月15日から設けられた制度で、勤労青少年旅客運賃割引規程及び同取扱手続制定 が7月9日付で制定されています。

昭和41年,国鉄があった時代から
国鉄があった時代、昭和41年後半編一部抜粋

割引制度の概要

少し長いですが、当時の概要を記録した、資料がありましたので,引用させていただきます。
事業所の,代表者の発行する勤労青少年身分証明書の交付を受けておき、勤労青少年が帰郷旅行する際は、事業所の代表者が旅客運賃割引証交付申請書を労働基準監督署長に提出して、割引証の交付を受けることとなる。
この場合、前記身分証明書は、旅客運賃割引証交付申請書提出の際に提示しなければならないことになっている。
旅客運賃割引証は、国鉄で作製し、労働省を通じて労働基準監督署または婦人少年室に配付するが、その種類は、お盆帰省用の第一一種と年末年始帰省用の第二種となっており、第一一種は七月十日(本年に限り七月十五日)から八月二十日まで、第二種は、十二月十五日から翌年一月二十五日までのいずれも40日間に限り使用できることとなっており、交付枚数は、勤労青少年一人について、第一種及び第二種各一枚である。また、この割引証によって、乗車券を購求する際に、身分証明書の提示が必要なのは、学生割引普通乗車券の場合と同様である。
勤労青少年の帰郷旅行は、一般に帰郷地において、数日間以上滞在することが考えられることおよびこの割引証によって購求する乗車券は、往路用と復路用を一括して発売していることにかんがみ、割引乗車券の送用期間は、規則所定で計算して一四日聞にみたないものについては、一四日とする特例措置が講じられている。
国鉄線 昭和41年8月号から引用
以上の通りであり、これに対して世論は一応に歓迎の意向を示していました。再び、国鉄線の記事から引用してみたいと思います。

世論の声は中々厳しかったが

下記は当時の記事をそのままスキャンしたものですが、手続きが面倒だと文句を言う人もいるようですが、こうしたクレームはどんな場合でも、有るわけでまぁ、こういった人に限って利用はしないと思うのだがいかがであろうか。
もちろん、制度の導入よりもむしろ学割の制度を見直すべきではないかという意見もあるが、世論の声として、勤労者割引で実家に帰れると喜んでいる人が居るという記事はそれなりに国鉄に取っても救われることではないだろうか、と結んでいます。

ちなみに、この勤労青少年旅客運賃割引規程は、2003年まで存続していたようです。
 勤労青少年旅客運賃制度は、勤労青少年の帰省の便を図る目的で、昭和41年に勤労青少年の福祉向上を図る取組みの一環として設けられたものですが、勤労青少年の減少、近年の交通手段の多様化等により、利用実績もごく僅かとなり、所期の使命を終えるに至りました。
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制度があったと言う事実だけは知って置いて欲しい

こうした制度等は、車両の話などと比べると地味ですが、まだまだ日本が経済的に貧しかった頃、それを支えてくれたのは、我々の先輩でした。
そして、国鉄もそれに対して、応えようとしたということは知って置いて欲しいと思うのです。
なお、この制度が導入された、昭和41(1966)年頃は、中学卒業で就職する人も多く、集団就職列車も数多く運転されていました。
当時の資料などを参照しますと、就職する中高校生を対象に、北海道・東北・新潟・山陰・四国・中国・九州の各地から,東京、名古屋、大阪へ向けて約100本の集団就職列車を運転することとしたと書かれています。
当時の大学進学率は21%程度であり、多くは高校を卒業すると働き出す、場合によっては中学を卒業して働き出す子供も多かったのでした。
現在では半数以上の人が大学に進学することを考えると隔世の感があります。

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国鉄が行った宅配便事業 「ひかり宅配便」

昔は小荷物輸送は国鉄が行っていた


現在、宅配便といえば、クロネコヤマトに代表される宅急便や、佐川急便、郵便局のゆうパックと言ったあたりが三強ですが。
ヤマト運輸が宅配事業に参入する前は、もっぱら小荷物輸送も国鉄がその任をになっていました。
郵便局も扱っていましたが、6kgまでであり、再配達制度も無し。
玄関に置き去り・・・みたいな配達の仕方であり、ちょっとした大きな荷物を運ぶとなると、駅まで荷物を運ばなくてはなりませんでした。
到着した場合も同様で、駅から荷物到着の電話、もしくは電話がない家庭の場合は「はがき」で、荷物の到着が伝えられ、駅まで取りに行くシステムでした。
まぁ、今から考えればなんともノンビリした時代と言えますが、昭和50年頃までの鉄道輸送のスタイルでした。

国鉄が行った宅配便 ひかり宅配便

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R 昭和60年5月号から引用

国鉄の小荷物輸送に比べて、宅急便【当時はヤマト運輸しか宅配事業を行っていなかった】は自宅まで取りに来てくれる上、自宅まで配達してくれるということで、次第に利用者が増えて行くようになり、郵便小包はまだしも、国鉄の小荷物はそれでなくともトラックに奪われていたものが更に、ヤマト運輸の参入により大きく減少することに成りました。
下の図表は、国内小量物品輸送量の推移ですが、昭和52年と比べてわずか5年で半分以下になっています。
それに引き換え、宅配業者は14倍という圧倒的な輸送量を拡充しています。
郵便小包【ゆうパック】じわじわとそのシェアを落としており、民間宅配便と並びつつあるのがご覧いただけると思います。

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国鉄線 昭和58年11月号から引用
なお、国鉄は、昭和56年には一部ヤマト運輸のパレット輸送を行うなど、完全に白旗を上げた状態だったのですが、昭和60年5月から、国鉄でも宅配便事業に参入することなりました。
ヤマト運輸の方式をほぼ踏襲した形で、自宅まで配達、差し出しは近くの代理店に差し出す方式であり、国鉄部内誌「R」によりますと、下記のように書かれています。
酒類販売店や米穀店のほか、自動車挫備工場ともタイアップ。
発足時で計8500カ所の店舗、工場と契約し、全国の三分の一、1040市町村でカバー体制ができ、今後10万店を目標に取次店を拡大する計画だ
としており、国鉄としても何とか挽回を図りたいと頑張っていたようです。
国鉄では配達をしていないと書きましたが、実際には駅からに配達もありましたが、国鉄自らが行うのではなく、国鉄と提携する荷物運送会社により配達されるもので、小荷物料金以外に配達料金がいるため結果的に割高になってしまうこともあり、あまり利用されることはありませんでした。
この新しい宅配便制度では、配達までを一貫輸送する他、先行する宅配事業者同様、酒屋や米穀店などに荷物を持ち込むことで差し出しやすくすることを狙っていました。
また、自動車整備工場とも契約したのは、国鉄だけであり、この辺は主要な酒屋とか小売店は宅配事業者に抑えられていたからではないかと考えます。

料金体系は、宅配便に準拠

国鉄の「ひかり宅配便」の料金は、第1地帯の700円 2kgから、第12地帯1900円 2kgまでの他、30kgまでとなっていたようです。
この辺は、国鉄部内誌「R」によりますと、下記のように書かれています。再び引用します。
取扱荷物の重量は、S(二キロまで)、M(10キロまで)、L(20キロまで)の三サイズ制で、需要の多い二キロまでの小口便を設けている。 料金は従来の集荷料、レール運賃、配達料をワンセットにし、値段も民間並みとした。
配達時間も短縮、東京~大阪間だと翌日、東京~北海道、九州間は三~四日くらいで配達される。
運賃は下記の通り
img312.jpg
国鉄監修時刻表 昭和60年11月号参照

結果的に1年ほどで撤退することに

当初の目標では、最終的に10万店の取次所を作ると計画していましたが、東京~大阪の翌日配達はともかくとして、東京~北海道や九州で3から4日は長く、取扱個数はかなり伸び悩んだと言います。
歴史にIFはありませんが、郵政省が59年2月のシステムチェンジに合わせて撤退せず、新聞輸送等も引き続き国鉄が担っていたならば、夜行列車と呼ばれる列車が全国を走っていたかもしれません。
結果的に、荷物輸送自体が国鉄の新会社にあっても収益源にならないことが結果的に証明されることとなり、僅か1年ほどで「ひかり宅配便」は撤退することになりました。
ちなみに、ペリカン便は、日本通運における宅配便事業であり、国鉄とは関係ありません。

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陸送屋とキセル乗車

昭和30年代、自家用車はメーカーから販売店には運転手が一台ずつ運転して配送していました。
当然のことながら、帰りは車では無いので鉄道で帰ることになるのですが、このときにキセル乗車をしている輩が多発していたということで、問題になったという記事です。
この記事によりますと、乗車券の使い回し、改ざんなどが行われていたようで、急行券などの日付などを改ざんして使っていたようなことが書かれています。
陸送屋

なお、具体的にどのような手口があったのか、下記に関連する記事がありましたので引用させていただきます。
国鉄線 昭和40年8月号の記事から抜粋です。
陸送屋
乗車券の使い回し、定期券と入場券による典型的な詐欺行為、他には、乗車券の偽造などもあるようです。


今でもそうですが、キセル乗車は、通常運賃の三倍を請求されることになります。
その根拠は、鉄道営業法第十八条と、鉄道運輸規程第十九条であり、それぞれの条文は下記の通りであります。
参考までに掲載しておきますね。

鉄道営業法第十八条
  • 第十八条 旅客ハ鉄道係員ノ請求アリタルトキハ何時ニテモ乗車券ヲ呈示シ検査ヲ受クヘシ
  • 2 有効ノ乗車券ヲ所持セス又ハ乗車券ノ検査ヲ拒ミ又ハ取集ノ際之ヲ渡ササル者ハ鉄道運輸規程ノ定ムル所ニ依リ割増賃金ヲ支払フヘシ
  • 3 前項ノ場合ニ於テ乗車停車場不明ナルトキハ其ノ列車ノ出発停車場ヨリ運賃ヲ計算ス乗車等級不明ナルトキハ其ノ列車ノ最優等級ニ依リ運賃ヲ計算ス

鉄道運輸規程第十九条
  • 有効ノ乗車券ヲ所持セズシテ乗車シ又ハ乗車券ノ検査ヲ拒ミ若ハ取集ノ際之ヲ渡サザル者ニ対シ鉄道ハ其ノ旅客ガ乗車シタル区間ニ対スル相当運賃及其ノ二倍以内ノ増運賃ヲ請求スルコトヲ得

と言うことで、正規運賃+割増運賃として三倍【条文では、二倍以内と書かれていますが、実際にはJRでは割増運賃として二倍+通常運賃を収受しているようです。

余談ですが、こうした陸送が盛んであったときに、並行して国鉄が働きかけたのが、下記のような車運車であり、クレーンを使って自動車を積み込むようになっており、下に8台、上部に2台搭載する貨車が私有貨車として使われました。

画像は、トヨタ自動車向けの試作車として製造された、シム1000形になります。
20170911_1354057.jpg
詳細は、下記の記事をご覧ください。
なお、実際に車が積載された状態は下記のような写真になります。
20170911_1354061.jpg


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プロフィール

加藤好啓

Author:加藤好啓
みなさま、こんにちは。日本国有鉄道研究家、鉄道ジャーナリスト加藤好啓です。
地方鉄道を活性化することで、地方を再生できないかと言うことで研究とともに提言活動などもさせてもらっております。
将来は地方政治家としての転身を目指しています。

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