国鉄形車両の座席の色は?

国鉄形車両の座席の色を覚えていますか?

国鉄が解体されて30年、JR西日本などでは未だ国鉄形車両が活躍していますが、JR東日本やJR東海では早々と新型車両に置換えた会社もあり、特にJR東海はその資金力もあってか国鉄形を完全に淘汰、さらにJR第1世代のキハ85も置換えの対象に入ってきたということで、そうなると383系の置換えの方がJR西の381系「やくも」より早くなるかもしれないですね。

まぁ、そんな余談はさておき。

客車の座席の色覚えていますか?

オハ35室内

青色でしたよね。

青色の座席が一般的でしたね。

思い出しましたか?

実はこの青色のモケットも変遷が有りまして、私の記憶が正しければ昔は純毛だったのですが、北陸トンネルの火災事故でモケット類の難燃化が指針としてだされて、化繊系のモケットになって手触りがあまりよくなかったように記憶しています。

どことなく、ビニール袋をさわっているようなイメージだったのですが、記憶違いで有ったらすみません。

国鉄形の車両は青色のモケットというイメージが強いのですが、実は青色のモケット以外もあったのです。

気動車はビニールシート

戦後製造されたキハ17系気動車は軽量化を最優先とした車両であり、初期の車両はシートの高さも低く、モケットではなくビニールシートの座席でした。
同じく、初代レールバスである、キハ01等もキハ17系と同様のシートでした。
特にこのシートはクーラーもない時代でしたから夏場は汗でべたべたとなりあまり座っていて気持ちの良いものではありませんでしたね。

キハ11室内

画像 Wikipedia 車内がモケット張りになっているが初期はビニールシートのタイプでした。

青色ではなかった時代も

実は、客車や電車のシートが青色になったのは、151系電車が登場して頃以降のようで、それ以前は実は、「緑色」が採用されていました。

昭和29年に落成したナハ10の試作車では、シートの色が緑色の車両の室内が回想の旅客車などで見ることが出来ます。

ナハ10

また、現在は京都の鉄道博物館に保存されている80系電車のシートも当時の姿に復元された緑色のシートを纏っています。

室内

特に、京都の鉄道博物館に保存されている80系は初期のタイプであり背摺りの上半分がモケットなしのタイプであり、デビュー当初はシートに工部省の「エ」マークを染め込んだシートになっていたそうです。


これは、客車などのモケットを切り取って持って帰る輩が後を絶たなかったからだと言われています。(客車のモケットは靴磨きに丁度よかったらしいです。)
そんな時代もあったということです。

エマークが入ったモケット

画像はイメージです。


余談ですが

現在の優先席の前身は、シルバーシートですが、このシートの語源は。
中央線の女性子供専用車を廃止した際にその代わりとして電車の車端部に高齢者優先席を設けることとしたのですが、目立たせるためにモケットを張り替えるに際し、当時使われていた新幹線0系の灰色のモケットを流用したそうです。
灰色を白髪の色に見立てて、シルバーシートと呼称したのが始まりであり。
老人に変わる言葉として、「シルバー」が定着してしまったのですが。
「シルバー」=「老人」の起源は国鉄のシルバーシートにあるのではないかと密かに思っております。

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みどりの窓口、よもやま話

みどりの窓口と言えば? みどりの窓口

座席マークで書かれたマークで指定券を発売するコーナーと言うことで表示がなされるようになりました。
画像は、神戸駅のみどりの窓口の案内板であり、Ticketsの他にハングル並びに、簡体字(中国語)で書かれています。個人的には、Ticketsだけで事足りると思うのですが・・・実際、中国に行った際北京空港でも「行李」「Baggage」程度の表示しかなくて、日本のように4か国語でと言うのは珍しいというか、そこまで必要あるのかといつも思ってしまいます。


さて、余談はさておき、みどりの窓口」では、列車の指定券を中心に窓口で対面販売される切符売り場であり、ICOCA、SUICA等のICカードが普及した現在ですが新幹線の切符などでよく並んでいるのを見かけます。

さて、みどりの窓口が誕生したのはいつでしょうか?


何時できたの?

制定されたのは、1965年9月24日で1965年10月1日のダイヤ改正に合わせて開設され、東京駅・大阪駅等日本全国の主要152駅(後述)と日本交通公社(現・JTB)の83か所の営業所にオンライン端末(マルス)が設置され、マルスが設置されたコーナーが「みどりの窓口」と呼ばれたそうです。

これは、切符の色の由来したと言われていますが、この時点では、みどりの窓口のシンボルマークは制定されていませんでした。

みどりの窓口の現在も使われるマークが制定されたのは、昭和42年で10月の改正までのシンボルマークをみどりの窓口に表示するようにしたと書かれています。

これによりますと、マークは制定したものの、その扱い方は各管理局に任せられていたようで、下記のように「指定券」と言う文字と併用したり、シンプルにマークだけの場合などもあったようです。

国鉄線

国鉄線 昭和42年9月号の記事から引用


222.jpg

撮影した画像から加工して、当時の国鉄「みどりの窓口」ロゴのイメージを再現してみました。


みどりの窓口は登録商標?

みどりの窓口は、JR東日本の登録商標だそうで、登録商標(日本第3116438号)になっているそうですが、何故そうなったのでしょうか?
おそらく、JR発足時には持ち株会社が認められておらず各社は個別の地域会社として誕生した際に国鉄の関連会社なども個々に遺産分けよろしく分割されました。
現在の東京メトロも元々は国鉄と東京都が保有していましたが、こうした収益性のあるものは旧国鉄(清算事業団)に残される反面、日本旅行がJR西日本の子会社となるなどの動きもありました。
JTBも当初はJR東日本の子会社と言う案もあったようですが、これを機会に独自性を獲得したいJTBの思惑もあって、独自の道を歩むことになるのですが、これはまた別の機会にお話しましょう。

そんな中で共通利用される部分の多くは、旧国鉄本社を引継いだ東日本旅客鉄道株式会社が筆頭会者と見做されたからだと思われます。
実際、国鉄時代に解説していた外国の在外事務所(ニューヨーク、パリ)等も引きついだように記憶しています。
その中で、「みどりの窓口」の商標も代表幹事会社としてその商標権を主張したのではないかと思われます。


みどりの窓口が無いJR東海

JR東海は、自動販売機で指定券を発売できることなどを理由に「みどりの窓口」と言う表現を止めて「きっぷうりば」としていますが、JR東日本に対する反発と考えるのは考えすぎでしょうか?


昭和30年代の定期券のお話

昔の定期券は、一般・通勤・学生の3種類

皆さんこんにちは、久々に更新させていただこうと思います、今では定期券と言えば大きく分けると通勤用と学生用、更に学生用は、大学生用(専門学校などを含む)・高校生用・中学生用・小学生用と分かれており小学生用は小児運賃なので別とすれば同じ大人運賃であっても、大学生と高校生、中学生で3種類の運賃があることになります。

調べてみますと昭和28年1月15日に、今まで制度として残していた、2等通勤定期を廃止して、2等・3等普通定期券と言う制度を採用したそうです。

これにより、3種類の定期券制度が出来たわけですが、それを再び2種類に戻しても良いのではないかと言う意見が掲載されていました。

ちなみに2等と言うのは今でいうグリーン車のことであり、グリーン車利用の通勤定期券と言う制度を廃止して、2等・3等の一般利用の定期券に変更したと書かれています。

参考 国鉄があった時代
国有鉄道運賃法の一部を改正する法律 法律第三百四十号(昭二七・一二・二七)

読者の提案は、定期運賃の制度を変更すべきではないかと言うもの

まぁ、聞き耳を立てて聞くと話に聴いた世間話から、問題を提起しているのですが、当時の制度を知らない私にしてみれば、こうした古い文献を探していくのは宝さがしのような感覚になるのですが、これによると、定期は普通、学生の2本立てにしても良いのではないかと言っています。

まぁ、通勤定期と言う制度を無くす実質値上げになるのですが・・・。


戦前では、工員向けの定期券と一般勤務者の定期券も値段が違うと言う政策的運賃が取られていました。(工場労働者は賃金が低いのでその分定期運賃を低廉に設定されていました。戦前の制度はまだまだ私も知らないことが多いので調査の必要があるのですが・・・。)

昭和35年6月記事

引用 国鉄線昭和35年8月号


一般定期券と通勤定期券ではその値段に差が付けられていた

当時の時刻表で昭和35年以前の時刻表では昭和31年12月号しかないのでそれを参照してみますと、確かに「普通定期」と呼ばれる項目が通勤定期とは別に掲載されています。

昭和31年12月時刻表から抜粋

普通定期運賃

普通定期運賃 7kmまで 1ヶ月600円(現在の物価で換算すれば約14倍と仮定しますと、8400円ほどでしょうか。)

通勤・学生定期

こちらは、通勤定期券、同じ7㎞の距離で計算すると、普通定期券の約半額の300円になりますので、約4,200円ほどになります。

ちなみに、大阪~京橋(営業距離6.5km)の現在の定期運賃が4,870円ですので、当時の通勤定期運賃程度の金額となります。

ちなみに、通学定期は大学生・高校生・中学生と言った区分はありません。
高校生や中学生の割引運賃が出てくるのは昭和30年代後半だと思われますのでまた機会がありましたがアップさせていただきます。

ちなみに、学生運賃は200円ですので、同じように換算してみますと、2800円程度となります。

ちなみに、現在の学生定期運賃との比較は下記の通りとなります。

  • 大学生 2,890
  • 高校生 2,600
  • 中学生 2,020
ということで、当時の学生運賃と言うのもほぼ現在の大学生(専門学校生を含む)の運賃程度であったのではないかと推測できます。

当時の通勤定期は手回り品の持込制限があった

当時の通勤定期がほぼ半額と言って言い金額だったのは、普通定期運賃には手回り品(いわゆる持込荷物)分を含めていると言う解釈であったとのことであり、逆に通勤定期ではそうした手回り品の持ち込みは制限されていたと書かれています。

こうして。古い資料などを参照していますといつも新しい発見がありますね。

これからも、更に新しい発見をしていってこうした形で皆様に紹介したいと思います。

昔のDMV(デュアル・モード・ビークル)

阿佐海岸鉄道が導入を進めるDMV

以前ニュース記事で読んだのですが、阿佐海岸鉄道では、終点の甲浦駅から、室戸岬を結ぶ交通手段としてDMVを考えているとのことです。
これが実現すれば、DMVの活用は、初となります。
地方のローカル線問題の一つの切り札ともなるとなりそうです。
DMV
画像 wikipedia 
阿佐海岸鉄道のDMVのお話は、後日詳しくさせて頂きます。
今回は、今から50年ほど前(昭和37年)に試作された、鉄道・陸上両用バス、英語の両生類を表す、アンヒビアン・バスのお話をさせていただこうと思います。

バスそのものの車体

まずこの写真を見ていただきましょう、バスの両側に鉄道用の台車が乗った何とも不思議なスタイルをしています。

国鉄線 昭和37年8月号の記事から引用させていただいたものですが、これによると国鉄バスを改造したものだそうで、発想は上記のDMVと同じで、鉄道が通っていない場所まで乗換なしで直行しようという発想で設計されたと書かれています。

前輪が乗っかる台車の後部車輪が駆動軸となるように設計されていたと言われています。

アンヒビアン・バス


複雑な脱着装置


この記事によりますと、オートリフト又はオートジャッキを利用して5分以内で台車の着脱が可能と記録されていますが、本当に5分程度で着脱できたのか大変疑問です。

なお、台車を載せた後も写真を見る限りでは、エアーホースの接続なども行うこととされており、車の、前に見えるホースがブレーキホースになります。

当時の記録によりますと、候補線区として23線程あったと書かれています。

 台車

また、車の推進は丸で囲んだ推進軸にバスから延長した推進軸(ドライブシャフト)を延長して接続するとのことであり、何とも驚きを禁じ得ないような仕組みとなっていました。
現在導入が準備されているDMVと比較すると、なんとも厳めしいというか手間がかかるバスであったのですが、当時の技術では車に台車を載せると重くなりすぎて使い物にならなかったのでしょうね。
なお、バスは鉄道車両と比べると当然のことながら車体幅が小さいので、ステップが付けられていたそうです。
なお、ホームは必ずしも車内から見た場合、必ずしも左側にあるわけではないので、その場合は右側に設けた非常口が乗降口になったそうです。

キハ58と比べてみれば・・・

こうして比較してみると、バスがいかに小さいかよく判ります。

キハ58系気動車の車体幅が2.9mですからバスの車体幅の小ささがよく判りますね。

比較


なお、当時はホーム高さが760㎜(客車)と低かったのでバスの高さ程度でもホームとの段差はさほど問題にならなかったと思われます。


参照 国鉄線 1962(昭和37年)8月号 10ページから引用

http://transport.or.jp/



 

交通公社の古い広告から

昭和二七年の国鉄線と言う時刻表の裏側の広告に、交通公社(現JTB)に案内係が登場したと大々的に広告が載っています。

ラナー・・・ランナーではなく、直訳すれば使い走り、伝令と言う意味だそうですが、現在の窓口に見られる案内係とは異なり、営業担当に相当するようで、当時の記事を見ますと、ラナーの仕事は「送迎、伝言、誘導案内、交渉、その他」ということで旅行の添乗員に営業担当の仕事が付加されたような内容だったのでしょうか。
昭和27年当時は国鉄自らが営業を行うと言ったことは考えにくく、交通公社によるこうした制度は国鉄と言う公共企業体(実質的には戦前の鉄道省と同じ感覚でしたが、収支のバランスを図り営業を行うことも多少は意識していましたので、こうした係員の存在は国鉄にとってもメリットがあったと言われています。
ラナー
昭和27年国鉄線 昭和27年1月号裏表紙から引用
出典 公益財団法人 交通協力会 電子図書館

今から考えるとなんとも時代錯誤的な制服なんですけど・・・。
まぁ、当時の感覚では最良だったのかもしれません。

プロフィール

加藤好啓

Author:加藤好啓
元々、FPのサイトとして開設していましたが、保険代理店廃業に伴いblogを変更させていただきました。
鉄道ニュースに関する私なりに解釈などを食わせさせていただきますのでよろしくお願いします。

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