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遜色準急 第2摩周

古い資料を探していて、大変面白い記事を発見しましたので、ここで披露したいと思います。
鉄道ファン昭和36年12月号の記事で下記のような内容です。

05準急快走す・・・


キハ05という気動車は、キハ04と同じグループの車体であり、こうした気動車を準急列車に使ったと良いうのも・・・いやはやなんともという感じなのですが。
国鉄のぼったくり商法だと書いています。苦笑キハ04

幸い当時の時刻表などもありましたので、併せて確認してみますと。
ありました、「準急第2摩周」という列車。

途中で分割する普通列車だが・・・。

鉄道ファン昭和36年12月号から引用


この準急気動車の時刻表がありましたので、それを参照しますと、釧路16:00出発 終着 網走には、19:29となっていますが、途中の標茶駅で、キハ05を切り離します。

釧網線

切り離されたキハ05はそのまま、17:00 標茶発の普通列車として根室標津を目指すことになります。

当時も優等列車は運転されていないことからも閑散線であったことが窺えます、実際に赤字83線でも指定されていますので、その辺は間違いないかと思われます。

標茶線


なお、網走を目指す列車は、キハ22が使用されていました。

キハ22も普通列車用ですが、車内設備は、キハ55とほぼ同じであり、北海道では長らくキハ22が急行列車に使われていましたのでさほど問題にはならないとは思いますが、問題はやはりキハ05でしょう。

デッキもなくて狭いシートに二重窓もない車両では何を況んやと思います。

当時のレポートで見ますと、キハ05にも結構乗車していると書かれていますが、当時の移動手段が国鉄しかなかったことが窺えます。


遜色準急としては最低の列車?では


最後にこのレポートを書いた報告者は、釧路~標茶まで利用すると運賃が140円(48.1km)(現在の運賃で1070円)、それとは別に準急料金が100円(これも運賃との比率で考えると、約700円の準急料金、今の特急料金程度でしょうか。)がかかるため、余程の物好きでなければこの区間をわざわざ乗らないのではないかと書いています。


ただ、実際に、一部区間とはいえ準急列車として行き先表示板を掲出してまで走っていたという事実を知っていただきたいと思います。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

昔のDMV(デュアル・モード・ビークル)

阿佐海岸鉄道が導入を進めるDMV

以前ニュース記事で読んだのですが、阿佐海岸鉄道では、終点の甲浦駅から、室戸岬を結ぶ交通手段としてDMVを考えているとのことです。
これが実現すれば、DMVの活用は、初となります。
地方のローカル線問題の一つの切り札ともなるとなりそうです。
DMV
画像 wikipedia 
阿佐海岸鉄道のDMVのお話は、後日詳しくさせて頂きます。
今回は、今から50年ほど前(昭和37年)に試作された、鉄道・陸上両用バス、英語の両生類を表す、アンヒビアン・バスのお話をさせていただこうと思います。

バスそのものの車体

まずこの写真を見ていただきましょう、バスの両側に鉄道用の台車が乗った何とも不思議なスタイルをしています。

国鉄線 昭和37年8月号の記事から引用させていただいたものですが、これによると国鉄バスを改造したものだそうで、発想は上記のDMVと同じで、鉄道が通っていない場所まで乗換なしで直行しようという発想で設計されたと書かれています。

前輪が乗っかる台車の後部車輪が駆動軸となるように設計されていたと言われています。

アンヒビアン・バス


複雑な脱着装置


この記事によりますと、オートリフト又はオートジャッキを利用して5分以内で台車の着脱が可能と記録されていますが、本当に5分程度で着脱できたのか大変疑問です。

なお、台車を載せた後も写真を見る限りでは、エアーホースの接続なども行うこととされており、車の、前に見えるホースがブレーキホースになります。

当時の記録によりますと、候補線区として23線程あったと書かれています。

 台車

また、車の推進は丸で囲んだ推進軸にバスから延長した推進軸(ドライブシャフト)を延長して接続するとのことであり、何とも驚きを禁じ得ないような仕組みとなっていました。
現在導入が準備されているDMVと比較すると、なんとも厳めしいというか手間がかかるバスであったのですが、当時の技術では車に台車を載せると重くなりすぎて使い物にならなかったのでしょうね。
なお、バスは鉄道車両と比べると当然のことながら車体幅が小さいので、ステップが付けられていたそうです。
なお、ホームは必ずしも車内から見た場合、必ずしも左側にあるわけではないので、その場合は右側に設けた非常口が乗降口になったそうです。

キハ58と比べてみれば・・・

こうして比較してみると、バスがいかに小さいかよく判ります。

キハ58系気動車の車体幅が2.9mですからバスの車体幅の小ささがよく判りますね。

比較


なお、当時はホーム高さが760㎜(客車)と低かったのでバスの高さ程度でもホームとの段差はさほど問題にならなかったと思われます。


参照 国鉄線 1962(昭和37年)8月号 10ページから引用

http://transport.or.jp/



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プロフィール

加藤好啓

Author:加藤好啓
みなさま、こんにちは。日本国有鉄道研究家、鉄道ジャーナリスト加藤好啓です。
地方鉄道を活性化することで、地方を再生できないかと言うことで研究とともに提言活動などもさせてもらっております。
将来は地方政治家としての転身を目指しています。

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