交通公社の古い広告から

昭和二七年の国鉄線と言う時刻表の裏側の広告に、交通公社(現JTB)に案内係が登場したと大々的に広告が載っています。

ラナー・・・ランナーではなく、直訳すれば使い走り、伝令と言う意味だそうですが、現在の窓口に見られる案内係とは異なり、営業担当に相当するようで、当時の記事を見ますと、ラナーの仕事は「送迎、伝言、誘導案内、交渉、その他」ということで旅行の添乗員に営業担当の仕事が付加されたような内容だったのでしょうか。
昭和27年当時は国鉄自らが営業を行うと言ったことは考えにくく、交通公社によるこうした制度は国鉄と言う公共企業体(実質的には戦前の鉄道省と同じ感覚でしたが、収支のバランスを図り営業を行うことも多少は意識していましたので、こうした係員の存在は国鉄にとってもメリットがあったと言われています。
ラナー
昭和27年国鉄線 昭和27年1月号裏表紙から引用
出典 公益財団法人 交通協力会 電子図書館

今から考えるとなんとも時代錯誤的な制服なんですけど・・・。
まぁ、当時の感覚では最良だったのかもしれません。

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グリーンシートのお話

皆様、こちらの投稿はほとんど放置状態になってしまいまして申し訳ありません。
ちょっと面白い記事を見つけたのでアップさせていただきます。

グリーン車ではなく、グリーンシートのお話

今回はグリーンシートのお話・・・グリーン車ではありませんので早合点しないでくださいね。
昭和33年12月号の国鉄線からのお話ですから。
昭和33年といえばまだ等級制を採用していた頃で、1等・2等・3等という表現がなされていました。
昭和33年当時1等車と呼ばれるものは展望車のみであり、着実に国鉄としてもサービス向上は進められていました。

特別2等車と普通の2等車が存在した

2等車にあっては進駐軍の命によりリクライニングシート付の2等車(特別2等車)があり、元々1等車としたかったのですが連合軍の許可が下りず、2等車扱いになったのですが従来の2等車との格差が有ったので、特別2等車という名称を使っていました。
なお、特別2等車は従来は、特急列車にのみ連結されていましたが、サービス向上の目的から昭和33年10月の改正からは、普通急行列車にもリクライニング装備の特別2等車が導入されることになりました。
車両編成

そこで、上記の急行瀬戸のように、2両ある場合は1両を自由席・1両を指定席に出来ますが、1両しか連結しない場合は一部の座席のみ指定席とすることとされ、特別2等車の座席の背摺りに、指定席であることを区分するために淡緑色に指定席と縫い付けたシートカバーを白カバーの上から被せてあったそうです。
その為にはこの方法が考案されたそうですが、大きなトラブルもなく推移しているとのことで幸いであると記事は締めくくっています。
余談ですが、従来の2等車(並ロ)と呼ばれる車両は準急列車や普通列車には引続き使われており、こうした車両が格下げ改造で消えたのは昭和42年頃でした。
準急用2等車として製造されたサロ153以外は全て普通車(旧3等車)扱いとなりました。


当時の記事を参考に乗せておきます。
国鉄線昭和33年12月号記事から
昭和33年12月号 国鉄線 17ページから引用
参考 公益財団法人 交通協力会HP
プロフィール

加藤好啓

Author:加藤好啓
みなさま、こんにちは。日本国有鉄道研究家、鉄道ジャーナリスト加藤好啓です。
地方鉄道を活性化することで、地方を再生できないかと言うことで研究とともにr提言活動などもさせてもらっております。
将来は地方政治家としての転身を目指しています。

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