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新寝台列車論 動くホテル 20系客車誕生

特急さちかぜの増発

昭和31年に登場した特急「あさかぜ」は、東京対九州間において圧倒的な利便性をもたらせたことで非常に好評で、翌年の7月20日には臨時特急「さちかぜ」が東京~長崎間に誕生します。
このときは臨時列車運転時の時刻表が手元にありますので、確認できるのですが、これによりますと、下り列車 東京発19:00→博多 12:25、上り列車 博多 16:05→東京 9:30となっています。
img057.jpg
特急さちかぜ、昭和32年8月号ポケット時刻表から引用

その後、10月には、定期列車として運転されるとされていますが、残念ながら定期列車時代の時刻表がないので確認が現時点では出来ません。
そこで、国鉄部内紙の、交通技術昭和32年10月号に定期列車でさちかぜ号が走ると記事があるのですが、時刻が少し怪しいのです。

引用してみたいと思います。
 “あさかぜ”の救済をかね、特急“さちかぜ”を東京~長崎間に新設した。東京~長時間特急としては 昭和18年、特急“ふじ”が廃止されて以来14年ぶりである。運転時刻は有効時間帝の関係で、下りは “あさかぜ”の30分後、上りは30分前走りとした
   下り東京発17時00分長崎着15時30分
   上り長崎発13時co分東京着7時30分
引用終わり
あさかぜの30分前後ということで、修正してみたのがこちら、「あさかぜ」の運転時刻が18:30(昭和31年時刻表参照)なので、これに基づき時刻を修正すると下記のような時刻となります。
これであれば、上りと下りで大きく異なる時間の大して整合性が取れそうです。

下り 東京発 19:00→長崎着 15:30
上り 長崎発 13:00→東京着 9:30
下り・・・18:00となっていましたが、誤りの指摘を受けて修正しました。
私の誤りで有ると判明しましたので修正させていただきます。

寝台特急「平和」と「あさかぜ」の20系化

その後、「さちかぜ」は特急「あさかぜ」と名称も似ていて、紛らわしいことから、昭和33年10月の改正では「平和」と改称されることになります。
再び、当時の時刻表から時刻を参照してみたいと思います。昭和33年10月の時刻表を参照しますと、特急「平和」として東京16:00→長崎12:15のダイヤとなっています。
そして、この改正で、特急「あさかぜ」は20系客車による固定編成客車に置き換えられることとなるのです。

img060.jpg
昭和33年10月時刻表から抜粋

なお、20系客車設計に関する記事が、これまた国鉄部内紙、交通技術の昭和33年1月号に
「特急用編成客車列車の計画について」というタイトルで書かれており、そこから車両に関する部分を中心に書き出してみたいと思います。
img058.jpg
昭和33年10月時刻表でも20系客車のことを紹介しています。

客車特急とするが、「つばめ・はと」のように方向転換は行わない。車両は特別色として、各車両には冷暖房を完備させる、食堂も全電化施設とする。そのため編成端に電源車を連結する。
編成は下記のとおりとする
荷物室(電源室付)    1両
2等区分室寝台車Aロネ  1両
2等開放室寝台車Bロネ  2両
2等座席車         1両
食堂車          1両
3等寝台車         5両
3等座席車         2両

となっています。
電源車は、当初スニ20で計画していたのですが、設計変更などでス級(ス=37.5t以上42.5t未満)に収まらず、マニ20と名乗ることになりました。
なお、マニ20は「あさかぜ」用に製造された3両に留まり、その後は車長を延長して荷物室を拡大したカニ21が標準となり、はやぶさ用にカニ22【パンタグラフ付き)が試作されましたが、結果的に64tと言う車重は重すぎることから、東海道・山陽線など特別甲線と呼ばれる幹線線区意外では大幅な速度制限を受けることから、「さくら」運用に入ることとなり、晩年は24系に編入されて24系25形の電源車として活躍していたことはご存じの方も多いかと思います。

当時でも、オール寝台車にすることに不安があったと言うことで、3両の座席車【2等1両、3等2両】が連結されていました。
実際には、2等座席車よりも、多少狭くとも横になって足を伸ばせる、B寝台車の方が人気があり、翌年に置き換えられる「さくら」編成以降、2等座席車の増備はありませんでしたが、3等座席車【昭和35年の等級改訂では2等車】は、昭和38年まで増備が続けられており、オール寝台車化するのは国鉄としても冒険だったことが窺えます。
キャプチャ
左が日本車輌デザイン、右が日立製デザイン (交通技術 昭和33年10月号から引用)

なお、ご存じの方も多いかと思いますが、あさかぜ用に投入された、20系客車は、日本車輌と日立の競作となり、デザイン等に違いがありました。
特に、食堂車のデザインの差異は顕著でしたが、2次車である「さくら」用からは仕様が統一され(注:私の誤認がありましたので、訂正させていただきます、日立製は昭和35年まで製造が続きます、大変失礼いたしました。ご指摘いただいた方に感謝いたします)その後は、日本車輌のデザインとなってしまいました、個人的には日立のデザインが好きでしたね。

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No title

事実誤認が多いように思います。ナロ20の増備はS35まで、最終的には9両の増備です。ナシ20の日立製レイアウトも最終増備の57号まで同じです。

ご指摘ありがとうございます。

申し訳ありません。
私も今一度確認した上で、修正させていただきます
ご指摘ありがとうございます。
プロフィール

加藤好啓(blackcat)

Author:加藤好啓(blackcat)
みなさま、こんにちは。日本国有鉄道研究家、鉄道ジャーナリスト加藤好啓です。
地方鉄道を活性化することで、地方を再生できないかと言うことで研究とともに提言活動などもさせてもらっております。
将来は地方政治家としての転身を目指しています。

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